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トッキー
2017.10.11 06:56その他ニュース

『戦争論』の「情の論理」がわからないかわいそうな人たち

新宿ホスト風・自意識過剰系・
下司の極み・読解力ゼロ・
情緒も論理も全く理解できない
ライターの古谷経衡は、
渡部昇一の著書
『かくて昭和史は甦る』を
『戦争論』の「ネタ本」だと勝手に決めつけ、
こんなことを書いています。


〈渡部昇一史観の核となっているのは、
まず第一に(1)「第一次大戦の講和条約
(パリ講和会議)において、日本側から
提出された人種差別撤廃条約が、
アングロサクソン(白人)の西欧列強に
よって拒絶された」という人種対立である。

このテーゼは小林の『戦争論』でも
繰り返し登場し、のちの「大東亜共栄圏」
の正当化にもつながる大義名分
として描かれている。〉


要するに、古谷は『戦争論』から
歴史観という「情報」しか
読み取っていないのです。

だがそれにしても、「情報」の部分に
共通したものがあるから、
渡部昇一が「ネタ本」だとは、
なんという短絡脳でしょう!

重要なのは「大東亜戦争肯定史観」
という情報よりも、
なぜ小林よしのりという作家が
「大東亜戦争肯定史観」を描いたのか
という動機であり、その背景です。
そこにあるのは、昨日のブログ
にも書いたように、
「祖父たちを守らねばならぬ」
という「情の論理」です。

よしりん先生の作品や行動において、
「情の論理」は特に重要です。
薬害エイズ運動も「情の論理」で
やったことです。

真っ当な読解力のある読者なら、
すぐに作品に流れている
「情の論理」を理解できます。
だからこそ、
「初めて祖父と戦争の話ができました。
ありがとうございます」とか、
「もう少し早くこの本が出ていれば、
もっと祖父といろんな話をしたのにと
思うと悔やまれてなりません」といった
手紙や読者カードが
山ほど寄せられたのです。

余談ですが、古谷は
〈当時高校1年生であった私は、小学館編集部(小林)
あてに個人的にファンレターすら書いたほどであった
(その後、十数年を経て私は直接小林にこの事実を
告げたが、当然小林が手紙を読んで居るはずも
なかった)。〉
とか書いてますが、よしりん先生は読者の反響を
大事にするので、
一見してヘンな人が書いている
とわかるようなものじゃない限り、
ファンレターや読者カードには目を通します。
ただ、数が膨大だから当然、誰がどんな手紙を
送って来たかなど覚えているわけはありませんが。

ひょっとしてツネヒラちゃんは、自分の送った
十数年前の手紙を、よしりん先生が覚えている
かもしれないとでも思っていたのかな? 
ホントに自意識過剰な坊やですねえ。

普通の読者なら、『戦争論』を読めば
自分の祖父はその頃どうしていたのだろうと
気にかかるものです。
ところがツネヒラもネトウヨも、
そういう発想が全然ないのです。

なぜそうなるのかというと、
感情が劣化していて、
「情の論理」が
理解できないからです。

おそらくいままでの人生で、
家族を含め、誰とも情の通った
付き合いをしたことがなく、
ネット程度でしか人と
つながったことがないのでしょう。

だから『戦争論』を読んでも、
自分の祖父に思いを馳せることもなく、
歴史観という「情報」にしか目が行かず、
「学校やマスコミで言っていた歴史観は
間違っていたのか!?
おのれ戦後教育! マスゴミども!」
…なんて方向にしか考えが及ばない。

だから、情報しか書いていない『嫌韓流』と
『戦争論』の違いもわからない。

仕方がないのです。
人としての情が理解できないままに
育っちゃった、気の毒な人なのですから。
この先も一生、虚しい生涯を送るしかない
人たちなんだろうなあと、ただ憐れんで
見ておくしかありません。

かわいそうなネトウヨ!

かわいそうなツネヒラちゃん!

(かわいそうだけど、まだつづく)
トッキー

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