ゴー宣道場は「パルタイ」ではない。
だから、
例えば、
教条主義的な護憲論者は論外としても、
皇統の問題でも、さすがに男系「絶対」
許容できないものの、「優先」論者辺りなら、
道場の多様性という事では、記念すべき第1回道場
(
参加者からこんな趣旨の質問が出た。
「祝日には、
国旗を掲げたいのだが、
どうしたら良いか」
と。
これに対して、
「子供が2人いるなら、
宮城能彦氏は
「
そのエネルギーは別に使って、
不肖私は
「
得心さ
お示しになってからであれば、
みんなバラバラ。
そこから質問者が自分自身でどう考えるか。
師範同士も、
それが道場。
「
「こうしなさい」
「はい」
自分で考え、
自分の身にはつかない。
だから、
排除や選別の論理、内ゲバの論理などに陥るべきではない。
道場が、「保守」の劣化や世間の付和雷同性に抗う
“砦”
寛容さ、
アウフヘーベンを目指す知的な誠実
それらこそ求められると、改めて肝に銘じたい。
その場合、
それが前提だ。
互いに相手への最低限の信頼と尊敬すら欠くようでは、
共に「
闘わせるのが、困難になる。
その事も自戒したい。