このブログでも取り上げた、現代クラシック音楽界最後の救世主、指揮者のグスターヴォ・ドゥダメル。
今年はウィーンのニューイヤーコンサートの指揮台にもダントツ最年少で登壇し、まさにその勢いはとどまることを知らない。
そんなベネズエラが生んだスーパースターが、現在、祖国ベネズエラの暴政に対し、戦っている。戦いの相手は政府であり、ニコラス・マドゥロ、ベネズエラ大統領である。大統領は、ドゥダメルを名指しで批判までしている。
ドゥダメルとともに権力に対峙するのは、至極純粋な美、自由、真理への意思と志向、そしてこれらと同等に普遍的である個人の尊厳である。
ベネズエラでは、現在毎日のようにニコラスマドゥロ大統領の退陣を要求するデモが行われている。4月から始まったデモ行動は、30人を超える死傷者と数百名の拘束者を出している。火炎瓶や催涙ガスが飛び交い死傷者も出るほどの激しさで、同時に、武装グループが軍の基地を襲撃し武器を奪うなど、クーデターの不安までもが国内に充満し始めており、極めて不安定かつ危険な情勢とのことである。
この反政府デモが激しく燃え上がったきっかけとなったのは、野党が多数を占める国会権限を最高裁判所が剥奪しようとしたからである。
現在ベネズエラは、石油の輸出価格下落による歳入減で深刻な食糧難と生活必需品不足の状態であり、インフレ率は今年、700%に達するともいわれている。
さて、今年7月22日の反政府デモにおいて、激しい衝突と混沌の中、一人の青年がデモのはざまでヴァイオリンを演奏していた。武器を楽器に持ち替え、非難と攻撃ではなく、その音色で対話と非暴力を表現しようとしたのだ。
彼の名はアルテアガといい、ドゥダメルがその一期生であった「エル・システマ」という音楽教育制度の学生だったのだ。「エル・システマ」は貧困・薬物・犯罪・虐待による社会の分断を音楽で治癒することを目的に設立された。
この無言の抗議活動はあっけなく暴力により制圧され、身柄を拘束された。「平和のヴァイオリニスト」の顔は腫れあがり、傷口からは流血している画像がtwitterに動画投稿された。
8月20日付のロサンゼルスタイムズの記事は、アルテアガが8月15日に釈放されたと報じたが、しかし、なんとその釈放の交渉にはドゥダメルが関与したというのだ。ドゥダメル自身は交渉への関与への言及はしていない。
現在もベネズエラのシモンボリバル国立交響楽団の音楽監督であるドゥダメルは、従前、政治的なメッセージを強く発することはなく、現政権に批判的でないこと自体を非難されるということもあった。
しかし、今年5月3日にエル・システマの一員であった18歳の音楽家が集会で殺害されたことを受けて、ドゥダメルは自由の戦士の扉を開く。
ドゥダメルは、この殺害事件の二日後、フェイスブックで文字通り「私は声を上げる」という標題でスペイン語及び英語の二か国語で、「流血を正当化するものなど何もない」「もうたくさんだ(Enought is enough)」と始める。さらに語気を強め、「耐え難い危機に押しつぶされ息ができずにもがき苦しむ人たちの公正な叫びを、これ以上無視してはならない」「いかなるイデオロギーだろうと、公共の福祉に勝るものはない」「政治は良心をよりどころに、憲法を最大限尊重して行わなければならない」と続けた。
そして、ニコラス・マドゥロ大統領に対して、「ベネズエラ国民の声を聞き」「反対意見を表明し、互いを尊重し、寛容に、対話を自由に行える」制度を構築することを求めた。
大統領は8月に出演したテレビでこれに皮肉たっぷりに応答する、
“Welcome to politics, Gustavo Dudamel.(政治の世界へようこそ、ドゥダメル)"
この応答とともに、大統領はドゥダメルを名指しで批判し、ドゥダメルが音楽監督を務めるシモン・ボリバル・ユースオーケストラの米国公演は中止となった(大統領が中止命令を出したという報道も存在するが、いまだ公式な真偽は確かめられていない)。
若者だけ180名で編成されたユース・オーケストラは、米国4都市での公演を予定していたのだ。
ドゥダメルは、「ユース・オーケストラの4都市での演奏ツアー中止は心が痛む。若い音楽家たちと演奏するという私の夢は今回は実現できなかった」「引き続き演奏を続け、より良いベネズエラ、より良い世界のために闘う」とツイートした。
20世紀を代表する第二次世界大戦前後の指揮者たち、トスカニーニやワルターらは、亡命などしながら、ナチズムやファシズムと徹底的に戦った。
かのバーンスタインは、自由の戦士として、象徴的にも、崩壊したベルリンの壁の前で、東西を越えた世界中のオーケストラを一堂に集めベートーヴェンの第九の指揮をした(このときの録音は残っているが、4楽章以下の合唱におけるFreude!(喜び)をFleiheit!(自由)に替えて歌い上げた)。バレンボイムは中東に思いを馳せ、ウィーンのニューイヤーコンサートで「中東に正義が行われんことを」と異例の発言をした。
その系譜に、ドゥダメルは数奇というのか必然というのか、今、立たされている。
彼は、自由や平和の戦士として、戦う運命にあるのだ。
彼らは憲法や近代市民社会が育ててきた自由、ときに反社会的・反権力的でありさえする自由の価値を自ら体現する存在である。自由の化身である。
だからこそ、彼らは自身が自由の体現者として、100%戦えるのだ。彼らの生きざまが現代社会の自由そのものとしてそこに存在している。
いやしくも、ドゥダメルが「声を上げる」とした叫びの中には「政治は良心をよりどころに」「憲法を最大限尊重すべき」「国民の声を聴き」「反対意見を表明し、互いを尊重し、寛容に、対話を自由に行える」という近代市民社会が共生のために導出した立憲主義の核となるようなワードがちりばめられている。これはある意味、その存在自身が自由の化身である人間が、権力と対峙したときに発するワードとして必然ではないだろうか。
彼らを支えること、支持することは、我々の市民社会がもつ自由や良心を支持することだ。
ドゥダメルとベネズエラ国立交響楽団の世界ツアーは今年11月に予定され、アジアでは中国、台湾、香港を回るにもかかわらず、日本はこのツアーのホスト国となれなかった。これ自体も、官民あわせた日本文化外交の脆弱さを露呈していないか。
政治的思惑と北米と南米の歴史的軋轢はあるとはいえ、トランプ大統領は、ベネズエラの情勢不安とその根源にあるマドゥロ大統領の政権運営を苛烈に非難し、軍事行動も辞さないという姿勢を見せている。日米の関係を「希望の同盟」と言って疑わない日本政府は外交的にどのようなスタンスでこれに臨むのか。
これは一小国の暴政と指揮者の物語ではおさまらないはずだ。
民主党政権下で尖閣諸島をめぐる衝突事件が勃発したとき、中国人演奏家のランランやユンディ・リの来日公演は中止された。
政治が自由や真理という普遍的価値を蹴散らし攻撃しようとしたとき、真っ先にその爆風を受けるのは芸術や芸術家かもしれない。まるでカナリアのようだ。
よく言われることだが、音楽に国境はないが、音楽家には国境はある。
自由や権利という普遍的な価値・概念に国境はないはずだが、いまだにこれらの実践は国家の枠組みに影響を受けざるを得ない。
だからこそ、国家の枠組みを越えて、普遍的価値を共有し拡張することは、国家の役割でもある。政治の役割でもある。
ドゥダメルの戦いを見守るとともに、その戦いの先にある価値に対して我々個人、そして日本という国家はどのようにコミットしていくのか。
そして、外交は安全保障や経済だけのためでも、政治家や外交官のためだけにあるのでもない。我々一人一人の手にもあるのだ。世界が狭量で内向的なベクトルに向かおうとしている今だからこそ、我々一人一人があきらめずに普遍的価値を訴求し続けようではないか。
36歳の若者が、リスクを冒して自由のために一人で戦っているのだから。
私は34歳の法律家として、ドゥダメルの一連の行動に刺激を受けた。勇気をもらった。襟を正した。
青年ドゥダメルが、大きな力に庇護されてもいない中、強大な国家権力と対峙する。
指揮棒を持ち、指揮台で平和な音楽の中心にいるはずの彼が、世界で引っ張りだこのスーパースターが、若者の身柄拘束の釈放交渉に関与したとしたら、大統領という国家権力に対して権利と自由の価値を込めて言葉をぶつけているとしたら、どれだけ孤独で不安だろうか。
迎え撃つは「“Welcome to politics, Gustavo Dudamel.(政治の世界へようこそ、ドゥダメル)"」と手ぐすねを引く、権力のブラックホールだ。
しかし、彼は「声」を上げた。彼が楽譜や指揮棒を通じてコミットしている、国家や国境を越えた普遍的な価値が彼にそうさせた。
36歳の青年指揮者の自由の戦士としての戦いは、始まったばかりである。