大東亜論 第三部
「明治日本を作った男達」
ツイッターでいただいた
T・ハクスリーさんの
T・ハクスリーさんの
感想をご紹介します!
大東亜論「明治日本を作った男達」
を読了しました。
を読了しました。
1ページをめくるたびに、ワクワク感が
半端なかったです。
半端なかったです。
武士達は刀を捨て、言論で戦うように
なっても、命をかけるのに変わりはなく、
その言葉には「言霊」が宿っています。
なっても、命をかけるのに変わりはなく、
その言葉には「言霊」が宿っています。
頭山満や玄洋社の人々は、
戦で多くの仲間を失っても、投獄されても、
決して諦めず、前向きで笑いを忘れず、
いざとなったら命懸けで戦う覚悟に
満ちており、現在の奴隷の平和の世に、
甘んじて生きている自分があまりに
情けなく感じました。
戦で多くの仲間を失っても、投獄されても、
決して諦めず、前向きで笑いを忘れず、
いざとなったら命懸けで戦う覚悟に
満ちており、現在の奴隷の平和の世に、
甘んじて生きている自分があまりに
情けなく感じました。
読み終わった後、何か腹の中に
かっちりしたものができた気がします。
かっちりしたものができた気がします。
これは「戦争論3」「新戦争論」を
読了した後に感じたものと同じです。
読了した後に感じたものと同じです。
未熟な私の言葉で紡ぎ出すのは
難しいですが、彼らの苛烈な生き様から
エネルギーを貰いました。
難しいですが、彼らの苛烈な生き様から
エネルギーを貰いました。
何故か1番印象に残ったのは、
女刺客忍野への頭山の優しさです。
女刺客忍野への頭山の優しさです。
結局、忍野はサメ(当時の日本の海に
ホオジロザメっているのかな?)に
捕食されてしまいましたが、
命を狙ったとはいえ、その忍野を
助けようとした、頭山の女性に対しての
優しさが伝わってきました。
ホオジロザメっているのかな?)に
捕食されてしまいましたが、
命を狙ったとはいえ、その忍野を
助けようとした、頭山の女性に対しての
優しさが伝わってきました。
「私擬憲法という挑戦」の章は
自分の劣化した憲法観を洗い流しました。
自分の劣化した憲法観を洗い流しました。
これまで「日本国憲法は破棄して、
大日本帝国憲法の草案に戻すべき」と
考えていたので、大日本帝国憲法が
どんな過程で作られたか?を勉強せず、
得意になってた態度に恥じるしかありません。
大日本帝国憲法の草案に戻すべき」と
考えていたので、大日本帝国憲法が
どんな過程で作られたか?を勉強せず、
得意になってた態度に恥じるしかありません。
そして「改憲、カイケーン」と
叫ぶ安倍政権や、
「自主憲法、ジシュケンポー」と
叫ぶ日本の心(ネトウヨの心)の連中が
何と無知・無学・幼稚なことか。
叫ぶ安倍政権や、
「自主憲法、ジシュケンポー」と
叫ぶ日本の心(ネトウヨの心)の連中が
何と無知・無学・幼稚なことか。
憲法を学ぶ、語る、思想、作るには
自由民権運動の私擬憲法に立ち返る
しかないとわかりました。
自由民権運動の私擬憲法に立ち返る
しかないとわかりました。
皇后様が2013年のお誕生日に
「五日市憲法」について述べられて
ましたが、軽く調べただけで
頭の中から消えてました。。
「五日市憲法」について述べられて
ましたが、軽く調べただけで
頭の中から消えてました。。
草案を作れるか?と問われると
「できない」と答えるしかないです。
「できない」と答えるしかないです。
私擬憲法を作った彼らを鏡に、
少しでも精進したいと思います。
少しでも精進したいと思います。
登場人物の生き様に
エネルギーを貰ったという感想は、
本当に嬉しいです。
歴史の中に埋もれていた人々の
魂が生き返ったような気がします。
そして描き下ろしの
「私擬憲法という挑戦」
では、史料に基づき徹底して論理的に
明治の私擬憲法草案に
ついて描き出しています。
ついて描き出しています。
この1冊で、情からも理からも
衝撃を受けること間違いなし!