敗戦の日、それは、戦争で死んだ人たちへの後ろめたさを感じる日。
一年前に刊行した、私の母との対談集『15歳の被爆者 歴史を消さないために』(彩流社)の中では、被爆から生き残った母が、死んだ人への申しわけなさの感情を抱えながら生きてきたことが語られています。
そして母とともに被爆地・長崎へ行き、多くの戦争体験の語りには、「死んでしまった人への、生き残った者の申しわけなさ」があらわれていることを知りました。
それは、直接は戦争を知らない自分でも、向き合うべき感情ではないだろうかと、思います。
「あなたは、いまなぜ、生きているの?」
その理由は、歴史を引き受け、語り継ぐ主体であり続けることにしか、ないのではないか。
自分に体験がなくても「戦争を知らない子どもたち」であっていいはずはない。
天皇陛下が、「反省」を口にするのは、自らを歴史的主体と認じているから。
そう思えてなりません。