僕が十代の時、乱塾時代と言われ、親のエゴのために受験戦争に駆り出される子どもはかわいそうだという論調がありました。
しかし当の子どもたちは、友だちと一緒の塾に通うのが楽しみであり、そこで少し区域のズレた子と友だちになったりも出来ました。また「ファンシー文具」などのアイテムがブームになったのは、塾に通う子どもどうしの話題のツールになり得た事が大きかったという分析もあります。
そしていま、東京オリンピックの手伝いに、子どもたちを全員参加で駆り出すということが都の有識者会議により提案されており、それに対して「学徒動員」などと言って危惧する声もあります。
しかし、子どもたちにとって、オリンピックの準備に協力したというのは、同世代の友だちと共有できる思い出作りとして、決して悪いものじゃないでしょう。
と同時に、原発事故後の日本の「状況はコントロールされている」という言い訳の楯に子どもたちが使われるのだとすれば、心穏やかになれないのも事実です。
森友学園の子どもたちのコールが安倍夫人を涙させたように、権力者の自己陶酔に子どもたちの「無垢さ」は利用されやすい。そこには警戒が必要です。