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笹幸恵
2017.7.9 06:48

前田高地のこと

昨日、映画『ハクソーリッジ』を観に行きました。

皆、怖い怖いというので、相当の覚悟をして観たのですが、

怖いというより、私は清々しささえ感じて映画館を後にしました。

 

最前線で米兵を初めて見た元日本兵に話を聞くと、

多くの人が「まるで赤鬼のようだった」と言います。

彫りの深い赤ら顔が印象に残るようです。

一方、米兵が見た日本兵ってどうだったんだろう、

黄色い猿かなあと漠然と思っていましたが、

『ハクソーリッジ』で米兵の視点から見ると、

まるで無表情のカカシ。

帽タレが激しく揺れ動く姿が印象的で、

しかも神出鬼没だから本当に怖いのです。

戦争神経症(ノイローゼ)になって後退する米兵は

多かったようですが、さもありなん・・・。

おそらく私もすぐに後送されるだろう。

また最前線のグロテスクな惨状も、確かに観るには

それなりの覚悟が必要かもしれません。

 

なのに、この清々しさはなんだろう?

 

あまり詳しく書くとネタバレしてしまうのでやめますが、

「私」ではなく「個」の物語だったからではないかな、と

思っています。

軍隊の中で「個」を貫くことは難しい。

でも彼はそれを貫いた(誰にでもできることではない)。

軍も国家も、最終的にはそれを認め、それを称えた。

ここがアメリカのすごいところ。

「私」と「個」が一緒くたになって

出る杭はとにかく打たれてしまう日本とは違う。

おそらく日本では、初年兵がどれほど「個」を貫いたとしても、

軍法会議で禁錮刑になって物語は終わってしまうのではないか。

(それほどの「個」が育つ土壌が日本にあるかどうかは別ですが)

 

さて、ここでプチ軍事トリビア。

 

このハクソーリッジ、沖縄の前田高地を指しているそうです。

前田高地の日本軍を調べてみると、
62師団の独立歩兵第12大隊(賀谷支隊)や

増援に来た第24師団歩兵第32連隊第2大隊(志村大隊)が

奮戦しています。

「猛烈な砲劇と南麓からの戦車砲の直撃を壕に浴び、

高地頂上付近は北面断崖を縄梯子で上がってきた

アメリカ兵に占領され、上から自動小銃を乱射され

無数の手榴弾を投擲された。山腹の陣地に籠る第2大隊に

できるのは手榴弾での対抗と突撃だけであった。

(中略)5月初め頃には志村第2大隊の兵力はほぼ全滅、

負傷者を入れても200人ほどになっていた。(中略)

第2大隊のほとんどの兵は、この5日間一度も寝ないで

戦ったあげく戦死していった」

(『定本 沖縄戦』より)

 

 

いま、前田高地には慰霊碑が建立されています。

 数年前に訪れました。

高地頂上からは、普天間飛行場が見えます。

 右側です。
左手のこんもりした森は、嘉数高地(こちらも激戦地)

 

グーグルマップではこの付近が

Desmond Doss Point」として表示されていました。

映画が公開されたからでしょうか。

もっと前からそういう表示だったのかは不明です。

絵文字:星  絵文字:星  絵文字:星

さて、本チャン「軍トリ」は、

当時の敵性語僕別キャンペーンについて

ご紹介しています。

こちらもぜひご覧ください。

 
視聴はコチラ

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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