地方のテレビ局やその他のメディアから共謀罪の取材を
受けて、帰宅してライジングの仕事して、
『おぼっちゃまくん』3本目を考えているが、
クライマックスが出ない。
悶々と考えているだけだ。
共謀罪について話すときは「どうせ自分は関係ない世界」
という多数派の無関心をどう突破するかが、本当に難しい。
この社会は、常に「物言わぬ市民」が多数派であって、
一生、なにごともなく暮らす人の方が多いのだ。
社会や、国家権力に対して、「物言う市民」になることは
ほとんどないだろう。
だが、この社会には、たまたま「物言う市民」とならざる
を得ない少数派が発生するわけだ。
薬害エイズ運動はそうだった。
拉致被害者たちもそうだろう。
その少数派のことを、多数派はまず考えない。
「自分には関係ないこと」として知らんぷりだ。
これは「民主主義」の捉え方が間違っているからであり、
実は民主主義というものは、少数派の権利を尊重する
考え方なのだということが国民は身に付いていない。
民主主義とは、多数決で勝った者たちが、少数派の権利を
踏みにじっていいとしか、教わってないのではないか?
ネトウヨなどは完全にそう思っているし、自民党議員も
そう考えているだろう。
民主主義の基本的な考え方を小学校のときから学ぶべき
ではないだろうか?
もちろん、民主主義とは国防軍なしには成立しないという
ことも含めて教えるべきだろう。