人類がこの歴史の中で獲得できた唯一といってもよい教訓は、「人は間違いうる」という、人間の可謬性の確信である。
革命を経て、まさしく“間違いうる”「人」が支配した絶対王政が倒れた。しかし、主権が絶対君主から我々国民の手に戻っても、「法」の支配のタテマエのもと、国家権力の担当者は、相変わらず人間である。そこで、「間違いうる」人間の権力行使を抑制するべく編み出された知恵が「権力分立」だ。
なんのための権力分立か、権力行使の抑制か。すべては、我ら「個人」の尊厳を保障するためである。宗教戦争や革命を通じて、今までの「貴族」「聖職者」「封建領主」「奴隷」という看板をご破算にし、人種、価値観、年齢、性別関係なく、立憲主義社会の構成員の最小単位として、すべて人は独立・対等の「個人」であるとされた。教科書的に立憲主義の“本籍地”のように引用されるフランス人権宣言16条には、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」とあるが、これは、立憲主義(憲法)の核心的価値である「個人」の尊厳を暴走する権力から守る目的のため、権力分立を手段的に採用することを確認したものだ。
【権力分立を巡る変奏曲】
現代日本社会において、権力分立は、憲法典に「三権分立」として規定されているだけではなく、社会構造の中にも様々な形で装置として埋め込まれている。いわば“多元的”権力分立によって、Check&Balanceをはかっていたものが、現在、悉く分立のタガがはずれ、権力統合・権力集中の遠心力を止められなくなっている。以下に見ていきたい。
《権力vs法》
初めに、法規範及び法による権力分立の企てについてみたい。三権分立の本籍地である日本国憲法によれば、裁判所は違憲審査権により政治部門を牽制し、議院内閣制ではるものの立法府と行政府は、解散等による緊張関係を前提に、抑制均衡している「はず」である。しかし、最高裁は、「事件」の解決に必要最小限度でしか行使されない違憲審査制のもと(付随的違憲審査制)では、抽象的一般的に法令を審査することができず、違憲立法(安保法制)や、違憲の国家行為(例えば、2015年秋に、憲法53条に基づく臨時会の召集が適法に求められたが、政府は臨時会を開かなかった。これは憲法上の義務違反であるが、現行制度上是正するシステムが存在しない。)を正すことができない。解釈改憲にも何らの歯止めにもならず、まさに「憲法の番人」との呼び名は“名誉的称号”に堕している。憲法自体も、今指摘した制度的欠缺があるばかりか、自衛隊の存在と9条という欺瞞を抱えながら、まるで美しいもののように70歳を迎えてしまった。憲法を裸の王様にしないためにも、国会や国民の従来の「護憲vs改憲」という不毛な二項対立を超えた議論が求められるが、憲法審査会等をみても期待できそうにない。
最高裁人事は、内閣が深く関与しているため、ここには「違憲判決をださない」ことと「人事に手を突っ込まない」こととのトレードオフが存在する。これでは、違憲立法審査権は、“刃の無い刀”である。
また、政治部門に目を向ければ、議院内閣制とはいえ、もはや、国会の第一党である自民党は官邸(政府)の下請け機関と化し、まるで一体である。ここに何らの緊張関係はない。各委員会での委員長(立法府)の政府(行政府)への過剰な配慮は、立法府の矜持を放棄したものといって過言ではない。
さらに、違憲立法審査権を実質的に補ってきた機関として内閣法制局がある。日本の違憲判決が少ないのは、内閣法制局による事前審査が極めて厳格に機能していたからだ。しかし、内閣法制局人事も、政策にあわせて挿げ替えられ(集団的自衛権行使賛成派の故・小松一郎氏を大抜擢した異例の人事は記憶に新しい)、答弁は政府擁護に堕し、政権の法的お墨付き与え機関になってしまった。
もはや、法規範は権力集中を止められない。
《権力vsメディア》
社会的権力として、第4の権力と言われたのがメディアであった。メディアも、権力の監視チェック機能として、権力との緊張関係の中で、憲法21条の表現の自由の“公共的使用”を認められた特別な職能集団である。しかし、大手メディアの幹部は総理とこぞって会食し、懐柔されなければまだしも、政権を忖度した報道しかしない。ジャーナリズムの役割を「官邸の情報をどれだけ早く伝えるか」などと考えている人間すらいる。このような批判的精神を失った記者は、とっとと政府の広報に転職すればよい。特に政治部記者の腐敗・堕落は著しい。議員や議会及び党の部屋にまるで党職員のように入りびたり、それをもって「情報収集」としている、これを通常のものとしている政治家とメディア双方の“ウェット”な感覚は、国民感覚とは程遠い。憲法は、このような者たちのために、表現の自由の公共的使用を認めたわけではない。
さらに、政権側も、高市総務相が「電波停止」発言により、悪しき政治的中立性を掲げてメディアを統制したり、金田法相が、マスコミに「共謀罪については厳しい質問をしてくれるな」という趣旨のペーパーを配布するなど、メディアへの統制及び癒着の例は枚挙にいとまがない。これでは、現在のメディアには、社会的権力分立を担わせるには荷が重すぎる。
《権力(中央)vs地方》
憲法92条以下にも「地方自治」の規定があるように、中央権力と地方権力も、権力分立の一形態である。しかし、沖縄問題をみればわかるとおり、住民の意思がどれだけ強大かつ画一的に表明されても、まったく顧みられることはない。住民自治など画餅だ。アベノミクスも、中央の利潤が地方へというモデルだし、自民党改憲草案に新設される緊急事態条項の発想も、緊急時の権力集中である。災害大国日本の教訓は、災害時は地方に権限を落とせ、ではなかったか。
《権力vs権威》
加えて、日本には特殊な権力分立があった。権力と権威、すなわち権力と天皇の権力分立である。今上陛下は、象徴の在り方として、憲法の枠内で、ご公務を積極的にされ“能動的象徴性”を確立された。政治的権能がない中、ハンセン病の施設訪問等、忘れ去られそうな少数者のところに訪問することにより、無言で「我らの同胞がここでも苦しんでいる」とメッセージを発し、弱者に寄り添った。これも「公務負担軽減」というミスリード有識者会議に始まり、今回ご譲位が「例外的」であることを確定的にすることによって、陛下の意思や、皇位の安定的継承への想いを踏みにじった。一代限りの特例法の悪しき先例性は、ときの多数派による強制退位を可能にすることである。本政権は、権威からの牽制も、無力化した。
《権力vs与党第一党》
55年体制と言われた自民党一党体制においても、自民党は党内で右から左まで非常にバリエーション豊かな人材と派閥で構成されていたため、「党内政権交代」と言われるほど、党内勢力同士の均衡と抑制が働いていた。しかし、小選挙区制における公認権も相まって、人事権をちらつかせながら、現政権幹部は、自民党内における異論も排除し、党内においても「一強多弱」状態を作出した。議会内での強弱構造は覆りそうにない現在、党内熟議が頼みの綱であるが、これも期待できない。
以上のとおり、現政権は、ありとあらゆる権力分立の契機を無力化することに成功している。