昨年7月26日発売の『月刊Hanada』9月号で
私は次のように書いた。
「私ども国民は…一方的に甘えっぱなしだったのではあるまいか。
皇室の方々がだらしない国民に愛想を尽かされる可能性があるなどと、
ツメの先ほども思い浮かべたことはないだろう。
『自分のかけがえのない人生をこんな国民のために犠牲にしたくない』
と陛下がお考えになるかもしれないなどと、
想像したこともないはずだ」と。
ところが、同年8月8日の天皇陛下のお言葉では、
こう仰って下さった。
「これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を支える
市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識を
もって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという
務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、
幸せなことでした」と。
このお言葉は、私にとって、
先の拙文へのお答えのように感じられた。
「いやいや、全国には“信頼と敬愛”に足る国民が確かにいる」と。
更に、
「これまでの我が生涯は、国民の“犠牲”になったのではなく、
十分に“幸せ”だった」と。
私はこのお言葉をテレビ東京のスタジオで、
生放送の番組中に拝聴し、懸命に感涙を抑えた。
陛下は以前も、このように述べておられた。
「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが…
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと
思っています」
(平成25年、お誕生日に際して)と。
何と無私な「幸せ」であろうか。