政治家ゲスト回始まって以来の「尊皇派議員」細野豪志さんと山尾志桜里さんをお迎えしての、第61回ゴー宣道場。
細野さんは、昨年8月8日の陛下の「玉音放送」に対して、そうしなければならない立場に陛下を追い込んでしまったということが、「申しわけない」と発言されました。
その上で、あの「玉音放送」は、陛下ご自身が「国民と共に手をたずさえて」平成という時代を歩んできたとおっしゃられたのが、もっとも本質的なところではないかと指摘されました。
国民にとっての天皇は、昭和においては神から人間への移行期だったのではないかというのが細野さんの考えで、今上天皇は、高みに立つことで距離が出来てしまうことを避け、細野さん自身、出来るだけ国民の目線に立とうとされてきたのを、すぐ近くで目の当たりにしてきたといいます。
たとえば被災地に行っても、政治家なら、不満や窮状を聞いてとりあえず「対処します」と言うことは出来ます。けれど天皇陛下は、それをただ聞かなければならないお立場。
その現場を見てきた細野さんは、それがどれだけつらいことか、想像にあまりあるとおっしゃていました。
山尾さんは、「42歳の私にとっての天皇陛下の姿」は、(ハンセン氏病の人など、いまなお帰るべき場所のない人を含む)すべての国民とともに喜び、悲しみ合う今上天皇であり、そういう天皇陛下と国民との間柄が「いまの時代にあることは間違いない」とおっしゃいました。
その発言を聞いた途端、私の中でもこみあげてくるものがありました。
私自身、以前ブログにも書きましたが、8月8日のお言葉で、一番胸がつかれたのは、細野さんが指摘した、「国民と共に手をたずさえて」こられたということを、陛下自ら国民である私たちにおっしゃられたときの幸福感でした。
二十代の頃、「平成」という元号の名前を初めて知った時、ずいぶん薄っぺらい、平坦な時代が始まる感じがして、若者特有の反発心を抱きました。現状に満足するのではなく、否定し打開していかなければならないという生意気な思いもありました。
けれども、陛下のお言葉を聞いて、「自分たち国民は、なんて幸せな時代に生きてこれたんだろう」と初めて実感できました。
と同時に、ここで陛下のご懸念を無視して、ふみにじるようなことをしてしまったら、「平成の国民は、最後の最後でなんてひどい選択をしてしまったんだ」と、後の時代になって言われても仕方がないだろうと思いました。
山尾議員は「皇族、天皇の国民に寄り添うあり方。そこだけは残さないと天皇制が続かない」とおっしゃいました。
それこそが、今上天皇が平成の時代に国民とともに作り上げてきたものなのだなと、改めて認識いたしました。
その最後の総仕上げとしての、ルールを伴っての、譲位の制度化の必要性。
両議員とも不退転の決意で「おとしどころ(典範に特例法入れるなど)は作らない」「徹底的に議論の公開を求める」と宣言されました。
私たち国民も「尊皇派議員」と思いを一つにして、平成を最後まで「いい時代」にしようではありませんか。