熊本市役所に勤務されていた折田豊生氏が、
(
言う迄もなく、例の
「
はしなくも、陛下の公的行為(象徴行為)
改めて考える場合の貴重な資料になっている。
よって、ここに引用させて戴く。
「昨年4月、
『1日も早く赴きたい』
地震後1ヶ月余りの5月19日、
被災状況をお見回りになるヘリコプターの中でも
黙祷を捧げてをら
その御心は、
人々にも通じてゐた。
胸一杯の不安を抱へながら仮設住宅で暮らしてゐた
益城町の主婦・
ヘリコプターが点になって見えたとき、
『
野田さんは、12月末、
天皇誕生日奉祝会において、壇上に立ち、
お励ましを頂いたそのときの思いを涙ながらに語ったので
避難所の1つである益城町中央小学校を
御訪問になられた両陛下は
多くの被災者に寄り添はれる如く、
その途中、
手作りの折り紙の花を差し出した
陛下は、ひ孫ほど齢の離れたその子を見詰められ、
それは、
一瞬の無言の語らひであり、
両陛下は、多忙な御公務が続く中で、
春の叙勲関係の行事の翌日、
各行政機関の関係者、
警察、消防、自衛隊の関係者、
御高齢の両陛下には御負担の大きい強行日程であり
畏れ多いことで
『ゆりの花』は、
謝意としてお受け止め頂いたものであらうと思ふ。
この御製をお詠みになったことが何よりそれを示すものであり、
『
大御心をあらためてお偲びしたい」―