若いころ、市川森一さんのような脚本家に憧れ、数本の作品が映像化される機会に恵まれた。『おぼっちゃまくん』でも一本だけ書かせて頂いた。けれど自分自身のあまりの非才に、いつしか活字媒体専門になっていった。
もうその道は思い切れたと思った数年後、友人の監督作品の脚本を手伝うことになったりして、夢がまた追いかけてくるのを感じる事が時々あった。
そして一昨年の冬、初めて自分の監督で映画を作りたくなったが、脚本を書くのは避けたかった。けれど原作として使わせて頂こうと思ってた小説を書いた作家さんから辞退され、自分でまた一から書くまでに追い込まれた時、つくづく逃げられない運命なんだと思い知らされた。
尊敬する脚本家の一人である井上敏樹さんの言葉を借りれば「夢は呪いだ」ということなのか。
しかし監督作品の撮影中、僕が撮影条件を先回りして変更を加えようとすると、ベテランカメラマンである田宮健彦さんが「これは女が男を自転車に乗せて走るっていうのが面白いんだから、そのままやろう」とおっしゃってくださったり、ベテラン俳優の飯島大介さんからホン読み(脚本の読み合わせ。衣装合わせの際に一緒にやることが多い)で意見頂いたあとで助監督さん通して電話があり「印刷台本のかたちで読み直したら、オレの行動に意味があることがわかった。ホン読みの時は『変えたい』って言ったけど、そのまま演らせてもらえないか」と連絡があったりした。
「女が男を自転車に乗せて走るっていうのが面白い」と言われた時、それはそのシーンのみならず、全体の構造であり、思いつきで変えていいわけではないということに気付いた。
ホン読みで飯島さんの変更意見を聞いた時は、僕は即座に納得したばかりか、文字の上の発想だけで台本を書いて、役者の生理が分かっていなかったとむしろ反省していた。
けれども飯島さんはあらためて全体を読んで「全部の登場人物に流れている切通の気持ちがよくわかった。『できない』って言ったけど、やるよ」と、撮影現場で改めてお会いした時もおっしゃってくださった。
監督という立場の自分以上に、脚本を守ろうとしてくれている。否、脚本の時点でやろうとしていたことを汲み取ってくれる。
それが実感出来てはじめて、若いころの自分に足りなかったものに気付けた気がする。
当時の自分は、脚本を「通そう」としか考えてなかったのだ。作品を担おうという姿勢に欠けていた。
でもたぶん、言葉で言っても若いころの自分は狐につままれたような表情をしているだけのような気もする。
タイムマシンに乗って喝を入れに行きたいものだが・・・・・・。
映画はいま完成まで8合目といったところ。今日は音楽の打合せがあります。