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切通理作
2017.2.7 04:28

『新戦争論』の冒頭につながる世界


   無人戦闘機が支配する戦場と、携帯で操作できるゲームの世界が同期する『新戦争論1』の冒頭を読んで、最新テクノロジーを知った上で戦争を語る必要があるということに改めて思い至りました。

 

 しかし日々の雑事に追われ、そのまま特に調べたりはしないまま、時が経っていましたが、『21世紀の戦争テクノロジー 科学が変える未来の戦争』(エヴァレット・カール・ドルマン著、桃井緑美子訳)という本に出会いました。

 

 軍事用ロボット、殺傷せずに苦痛のみを与える武器、遺伝子操作された痛みを感じない兵士、宇宙からのレーザー攻撃……。

 いま現在もう開発されているものから、近未来の可能性まで、米政府機関の戦略情報局でアナリストとして働き、現在はアメリカ空軍大学で教鞭をとっている著者によって書かれています。

 

 読んでいて目を引いた論点は、核兵器が開発されたばかりの頃からずうっと続いている、兵器開発によって戦争の「人道性/非人道性」の線引きが常に揺るがされる両義性でした。

 

 戦場から遠く離れた場所からの攻撃は、それをする兵士の安全が確保されるという点では「人道的」です。しかし敵の顔も見えない中で機械に一方的に殺されていく側にとっては「非人道的」。

 

 攻撃を目標物のみに絞り、他に危害を加えないように地理のみならず個人情報をデータベース化する行為もまた、被害の拡大を避ける意味では「人道的」ですが、人間の生活を徹底的に管理下に置くという意味では「非人道的」。

 

 3Dプリンタで食品が複製でき倉庫を減らせることで兵站を負担なく運営できるのは、戦場での飢餓という問題を払拭する意味で「人道的」ですが、その技術が化学物質に使うことができれば毒物や危険なガス、感染症などを簡単に作れるという意味で「非人道的」。

 

 むろん医学も両義性を持ちます。医療的には副作用と呼ばれる状況を人為的に作り出し、感染症を兵器にすることも可能。

 特に興味深かったのは、たとえば天然痘のようなすでに根絶されている感染症は、ワクチンの投与自体も終わってしまったため、現代では誰も免疫がなく、誰かがこれを意図的に復活させれば、感染者の四割が死滅するだろうという記述です。

 

 終わってしまった脅威も、だからこそ新しい兵器として利用できるというのには眩暈がしました。

 

 ナノマシンを人体に仕込むということも、もはや医学の進歩の中で不可避になりつつあるといいます。それは人体機能の限界を乗り越える作用と、外側から人間の機能をコントロールできるという作用があります。

 

 著者は、科学の発達それ自体が、こういった両義性を乗り越える回答を示す事はあり得ないとしています。人間はつねに自分自身の力で、可能性と限界を見つめていかなければいけないのでしょうが、なかなかに難しいことでもあるなと思いました。

 

 

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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