門弟女性からの
投稿をご紹介します!
娘がひと月ほど前に突然大病を患いました。
決して楽観できないという状況のときも
ありましたが、長時間に及んだ手術も
成功したうえ術後の経過もよく、
ありましたが、長時間に及んだ手術も
成功したうえ術後の経過もよく、
まだ気は抜けないながらも現在回復に
向かっており安堵しています。
向かっており安堵しています。
これまでも愛情を注ぎ育ててきたつもりの娘でしたが、
いま思えば、彼女が元気で存在しているのは、
まるで空気のように当たり前のことすぎて、
愚かな私はそのありがたさに
気づけていませんでした。
気づけていませんでした。
この度もしかしたらこの子を失うかも
しれないという状況になって、
しれないという状況になって、
元気に育ってくれていた娘という存在のありがたさ、
かけがえのなさが身に沁みてわかりました。
とは言っても、喉元過ぎればナントヤラ
と言うのが常の私ですので、そうならないよう、
日々の幸せや身近にある宝もの、
と言うのが常の私ですので、そうならないよう、
日々の幸せや身近にある宝もの、
ありがたさを忘れずに毎日生きていこう
と噛みしめているところです。
と噛みしめているところです。
きっと私に限らず、人間そのものが
愚かな生きものなのだと思います。
愚かな生きものなのだと思います。
国家はその愚かな人間の集合体という
側面もありますから、
側面もありますから、
取り返しのつかない過ちに
陥ってしまうこともままあるのでしょう。
陥ってしまうこともままあるのでしょう。
例えば原発。
我が国はいつどこで巨大地震が起きても
おかしくない現実があるのに、
現与党やその支持者達は原発を再稼働
させたがっている様子が見てとれます。
たった一度の原発事故により、
我が国はいつどこで巨大地震が起きても
おかしくない現実があるのに、
現与党やその支持者達は原発を再稼働
させたがっている様子が見てとれます。
たった一度の原発事故により、
人が住めなくなってしまったら
元の国土を取り戻せない。
元の国土を取り戻せない。
ついこの間それが証明されてしまったうえ、
6年経った今も故郷に帰れない人が
まだまだたくさんいるというのに。
6年経った今も故郷に帰れない人が
まだまだたくさんいるというのに。
また、TPPなど自由貿易やグローバリズムに
このまま突き進めば、大概にして
私利私欲からなる市場が国家を上回ったり、
このまま突き進めば、大概にして
私利私欲からなる市場が国家を上回ったり、
国境をなくしてまでの人や物やお金の
行き過ぎた流れは、先人達が苦労して
築き上げてきてくれた国柄の破壊に繋がりかねない。
行き過ぎた流れは、先人達が苦労して
築き上げてきてくれた国柄の破壊に繋がりかねない。
入れものばかり日本と呼ばれても、
中身が日本でなかったらそれは日本とは言えません。
国柄というものも一度なくなってしまえば、
中身が日本でなかったらそれは日本とは言えません。
国柄というものも一度なくなってしまえば、
簡単に取り戻すことは決してできないでしょう。
そして皇室です。
政府が推し進めようとしている一代限りの特例法では、
この国で唯一無二の公の体現者でおられる
今上陛下の願いである「象徴天皇の務めが常に
途切れることなく、安定的に続いていくこと」
今上陛下の願いである「象徴天皇の務めが常に
途切れることなく、安定的に続いていくこと」
は不可能なわけで、そのためには
皇室典範の改正しかありません。
皇室典範の改正しかありません。
なぜか保守を自称する人たちほど、
それを阻止するのに必死。
それを阻止するのに必死。
詭弁を並べ立てるどころか、
それはもはや暴論と化し、
それはもはや暴論と化し、
論理破綻の意味不明状態になっています。
皇室こそが、一度途絶えてしまえば
二度と取り戻すことはできない
二度と取り戻すことはできない
存在であるはずなのに、これまでさんざん
皇室への敬愛だとか、尊崇だとか言っていたはずの
保守の人たちは、皇室の歴史についての
皇室への敬愛だとか、尊崇だとか言っていたはずの
保守の人たちは、皇室の歴史についての
小難しそうな話や、意味不明な話は矢鱈しても、
基本中の基本である皇室の存続についての
“まともな”考えを微塵も持つことがない。
基本中の基本である皇室の存続についての
“まともな”考えを微塵も持つことがない。
ふだんの日常生活を営むうえでは、
その存在が当たり前すぎて、
その存在が当たり前すぎて、
なかなか意識したり、気づくことが
できなかったりするものに、
できなかったりするものに、
一度失ってしまったら、二度と取り戻せない
大切なものがたくさんある。
大切なものがたくさんある。
幸せや宝ものというのは、
得るものではなく、気づくもの。
得るものではなく、気づくもの。
そこでやっとそのありがたさを知ることができる。
取り返しがつかないことになる前に、
愚かな人間は、まずはそれに
気づかなければならないのでしょう。
気づかなければならないのでしょう。
さて、残念ながら私は来週の道場に
私は参加できませんが、
私は参加できませんが、
第61回ゴー宣道場の成功を
まったく疑っていません。
まったく疑っていません。
皆さん、刺激的な議論を
楽しんでいらしてください。
楽しんでいらしてください。
「保守」という人は、本当は何を
「保守」しようとしているのか?
という話題を今朝の「モーニングCROSS」で
泉美師範がしておられましたが、
本当に自称保守は「保守」すべきものを間違えている、
というより、本心では大切に保ち守りたいものなど
何一つ持たない人たちなんじゃないかと
思ってしまいます。