原武史氏がこんなことを述べている。
「今回生前退位が実現すれば、それはどう取り繕っても天皇の
『おことば』がきっかけとなっており…憲法4条に抵触すると
思います」と。
原氏は元日経の記者で、専攻は日本政治思想史。
憲法学はズブの素人だ。
でも百地章氏や八木秀次氏など、「保守」系の憲法学者も
似たり寄ったりなことを言っている。
その一方、奇妙な逆転現象が起きているのか、戦後憲法学の
“正統”を受け継ぐ学者達の見解は違う。
高橋和之氏
「事は天皇自身の身の処し方に関する問題である。
その問題を知るには(国民には知る権利がある)、天皇自身が
自己の置かれた状況をどう認識しているか語る以外にない。
…政治的発言とならないよう細心の注意がなされたものとなっており、
政治的効果をもつことは避けえないとは言え、憲法に反していたと
いうまでのことはない」
長谷部恭男氏
「憲法に反するとは思えません。
もちろん…一定の政治的な帰結をもたらし得る話です。
しかし…天皇自身が退位の希望を匂わせること自体には
…それなりにもっともな理由がある。
さらに、憲法が政治的権能をもたないというときに想定しているのは、
国事行為において『この大臣の任命には反対だ』とか
『いまの衆議院は解散するしかない』と言い出したり、
あるいは天皇が党派政治に巻き込まれたりするような事態です」
木村草太氏
「今回のお言葉も象徴行為の一種であり、内閣が責任を負うことに
なる。
生前退位のため法整備が進むのは、天皇がそれを望んだからではなく、
内閣がそれを必要と考えたからだ、と理解せねばならない」
特に木村氏の指摘は重要だ。
8月8日の「おことば」は、天皇の公的行為(象徴行為)として
なされた。
つまり内閣の“同意と責任”で公表された
(この事実については、天皇陛下も秋篠宮殿下も、
それぞれご自身のお誕生日に際しての記者会見で、
わざわざ言及しておられる)。
ならば、「おことば」に強く示唆されていた「譲位」の制度化
(この点は普通の国語力があれば理解を誤ることはよもやあるまい)
を図るのは、内閣が自ら「必要と考えた」課題に他ならない。
内閣が同意し、その責任で「おことば」が全国民(更に全世界)
に向けて公表された以上、内閣自体が譲位制の必要性を認めたと
判断する以外ないからだ。
従って、内閣が譲位制を実現する為に総力を傾注するのは、
自らが設定した課題に取り組む以上のことではない。
そこに憲法上、些かの疑念も生じ得ない。
当たり前の話だ。
むしろ一旦、自らの責任で「おことば」を公表しておきながら、
それとは明らかに齟齬する有識者会議を設けたことの方が、
自家撞着的で支離滅裂。
万が一、「おことば」の主旨とはかけ離れた、
特例法による一代限りの譲位を“押し付ける”ような事態になれば、
内閣は己れが設定した課題を、自ら覆すことになる。
それは何よりも、ひと度「おことば」に同意しておきながら、
手のひらを返して、天皇陛下をはじめ皇室の方々を欺く振る舞いだ
(天皇陛下と秋篠宮殿下が、揃って内閣の責任に触れておられるのは、
その迷走ぶりに呆れられて、念の為に釘を刺されたのか)。
特例法はこの点からも到底、許されない。