ご譲位を巡る政府の対応の理論的バックボーンは
恐らく高尾亮一旧宮内省文書課長のロジック。
彼の言い分はこうだ。
「(自由意思による退位は自由意思による不就位に繋がり)
血統による継承において不就位の自由を規定したならば、
その確認のために空位又は不安定なる摂位(君主に代わって
その位に就くこと)という事実の起こるのを防止できず、
万一継承資格者のすべてが就位を拒否するという事態に至るならば、
天皇という制度は存立の基礎を揺り動かされることになるのである。
世襲による就位は自由意思の介入と調和しがたいものなのであろう。
ひるがえって考えるに、皇室典範は新憲法下においては
一箇の法律に過ぎない。
もし予測すべからざる事由によって、退位が必要とされる
事態を生じたならば、むしろ個々の場合に応ずる単行特別法を
制定して、これに対処すればよい。
一般法のなかに、退位の原因も明定されぬ単なる退位条項を
規定するならば―上述の不就位条項も規定されなければならず―、
事実は天皇の自由意思を無視した濫用も憂慮されるのである」
(『皇室典範の制定経過』昭和37年)
しかし、「一般法」=皇室典範に退位の要件として以下の
3点を盛り込めば、高尾氏の「憂慮」は解消される。
(1)皇嗣が成年に達している。
(2)天皇のご意思に基づく。
(3)皇室会議の議決による。
まず(3)があるので(最終的な決定権は皇室会議にある)
「単なる自由意思による退位」ではない。
よって、「不就位の自由」とは直接、対応しない
(かつ、これまで繰り返し指摘して来たように、
今の制度でも事実上、不就位の自由はある!)。
(1)と組み合わせれば「空位又は不安定なる摂位」
という事態にはならない。
「継承資格者のすべてが就位を拒否するという事態」は、
忌憚なく申せば今の制度でも普通に起こり得る。
万一、そのような局面に立ち至った場合は、
国民はその運命を受け入れるしかない。
天皇陛下が唯一、“国民の為に”望まれた、
退位の制度化すら拒否するような、愚劣かつ恩知らずな
国民であれば、皇室の方々がそうした選択をされても、
やむを得ないだろう。
高尾氏は「事実は天皇の自由意思を無視した濫用も憂慮される」
と言う。
典範の明文の規定を政府・与党が公然と踏みにじる
可能性があると言うのだ。
だが、そこまで極端な事態を想定するのであれば、
典範による恒久的なルールがない状態で、「単行特別法の制定」
によって天皇が強制退位させられるハードルの方が、遥かに低い。
本末転倒の議論と言わざるを得ない。
典範制定当時に尽力された高尾氏には敬意と感謝の念しかない。
しかし、今の政府が半世紀以上も前の同氏の立論に
全面的に依拠しようとしているように見えるので、敢えてその
ロジックを批判した。
もし賢い記者がいたら、有識者会議の記者会見で
「高尾氏の旧式なロジックには批判が出ています。
それをそのまま踏襲して、特例法で危険な前例を作るのですか」
と質問して欲しい。