この度の秋篠宮殿下のご発言で特に注目すべきは、
8月8日の歴史的な“玉音放送”について、わざわざ
「内閣の了解も得て」と言及されたこと。
あの放送が、内閣の同意と責任によって行われた事実を、
改めて指摘された。
天皇陛下のお言葉で明確に示唆されたご譲位を可能にするのは、
既に「了解」した内閣自体の責任、というメッセージを含む。
現在の政府の迷走ぶりに対し、(結果的に)極めて辛辣な
ご批判になった。
また予め提出した質問に関連して、日経の井上記者が踏み込んだ
質問をしている。
「天皇というのは存在するだけでいいんだという意見の方も
いらっしゃいます。
これに関して殿下のお考えはいかがでございましょうか?」と。
これに対し、ご自身のお立場による制約を自覚されて、
殿下は言葉を選びながら、慎重にお答えになっている。
その場にいた記者によると、殿下はこの時、かなりゆっくりと
話をされたという。
抑制的に
「なかなかそれ以上のことを言うことは難しいですけれども」
とか、
「なかなかいい言葉では言えないですけれども」
という表現を、繰り返しておられる。
しかし、そこで伝ようとされた中身に誤解の余地はない。
陛下が長年、象徴とはいかにあるべきかを懸命に模索し続けて
出された(経験と実践に裏打ちされた)結論
(ただ天皇「である」だけでなく、その「役割を果たす」ことが重要)
に、殿下ご自身も「非常に同じような気持ち」を持っておられる、と。
一言で言えば「存在するだけで…」なんて論外だし、陛下に無礼千万
ということ。
念のために付言すると、
「それ以上のことを言うことは難しい」とおっしゃっているのは、
「それ以上」におっしゃりたいことが“ある”のに他ならない。