今、校正中の幻冬舎新書で私が強調した1つは、
今の憲法の大元になったマッカーサー・
あたったGHQ民政局次長だったケーディスらの
宮澤俊義以来の憲法学の「象徴」
常軌を逸している。
徹底的に否定的・消極的に“ばかり”、解釈しようとして来た。
つまり、占領軍が求めた“以上”に天皇の主体性、
否定したのだ。
何故そんな事になってしまったのか。
それ自体、戦後という特殊な時代を読み解く上で、
しかし、ここで重視したいのは、
“より”自虐的な「象徴」解釈が、
いた知識人の頭脳も、
天皇陛下のご譲位へのお気持ちが明らかになって以来の、
知識人の殆ど正気とも思えないような発言の数々は、
その事実を暴露した。
「象徴」をひたすら消極的・
戦後憲法学。
ところが天皇陛下はご自身でそれを突き破り、
「象徴」
築き上げられた。
更に、それを次の時代に“確実に”伝えようとされているのだ。
譲位制へのご希望も、動機はそこにあると拝察できる。
それに対し安倍政権は、天皇という存在をもう一度、
「
有識者会議は、