陛下のお言葉を聞いて、さまざまな印象を持つ人がいる。リベラル派の中には「個人として」という前置きの部分に、肉声を聞き取ろうとする人がいる。笹さんのように、陛下が「公」のことしか言っていないところに注目する人もいる。
しかし、これは矛盾ではないと、先日の道場に参加した人ならだれしもが思うだろう。
陛下は、個人として、公のために尽くすという「天皇」の立場を受け容れられたのだ。
そして多くの国民が、そのことに潜在的に気付いたからこそ、そこに自分たちへの限りない愛と慈しみを感じたはずである。そして陛下が日本にいらしてよかったと、温かい気持ちに包まれたのではないか。
「天皇陛下の言いなりに『決まり』を変えていいのか」と疑問を唱える向きがあろうとも、天皇陛下と国民との、そのような温かみを持った関係の持続が、どのようにしたらなされるのかに、問題は集約される。
だがその「気付き」の示す方向が価値紊乱者たちによって捻じ曲げられ、結果的に摘み取られ、踏みにじられることがあってはならない。
それだけを、切に願っています。