『大東亜論』のわしのペン入れを終えて、「SAPIO」の
編集長を交えた打ち合わせに行った。
次の号から担当編集者が替わる。
柏原くんはたった一年だったが、ツーカーになったと
思ったら交代だ。
だが新担当の中澤くんも一年前まで担当だったので、
すぐにカンを取り戻してうまくいくだろう。
あと3・4回で「自由民権篇」を終え、来年初頭には
単行本になるだろうということ、そのときの単行本用の
企画案などを話した。
今描いてる「自由民権篇」は『大東亜論』の第三部に
なるが、まさに日本の「民主主義」の黎明期になる。
『民主主義という病い』(幻冬舎)とも連結する物語
なのだ。
「民主主義」の黎明期の推進力になったのが、戦後に
GHQから「右翼の源流」と認定され、歴史の闇に
消されてしまっていた玄洋社である。
日本の「民主化」が世界とは全然違う発展の仕方をした
ことを知っておかねば、日本国民としてはまだまだ完成
しない。
明治時代に、右翼も左翼もない。
尊皇は常識であり、愛国が普通にあり、権力をとる手段
を学ぶ時期があった。
この感覚を伝えるには物語の手法をとるのが一番良かろう。