引き続き戊辰戦争を巡る先学の発言を。
些か長文に亘るがご容赦願いたい。
「明治維新史には、
悲劇的な権力闘争史がある。…
間の権力闘争は、
…もしも当時の日本人に、
成立しても、関東、北陸、
しかし日本には、
この危機は克服せられた。
関東、北陸、東北の諸藩は、
それにはそれで十分の理由もあつた。
新政府の創立にさいして、
そのまま確保して、
全面的剥奪を命じた。
ここに鳥羽伏見の戦端が開かれた。
しかし京都は、
関東勢は、
それは戦線が東北北陸に発展して行つても同じであつた。
いづこにおいても薩長人に対する反感はあつた。
官軍が、
その反感を刺激したことも事実であつた。
しかしいづれの藩でも天皇に対する忠誠を表明しないものはなかつ
これでは散発的な戦闘がおこつても、
かれらは、
かれらの薩長に対する不信と反感とは激しかつた。
しかも、
二分することなく、
協力を惜しまなかつた。
かれらは、
ことを信じて疑わなかつた。
かれらは天皇に対する忠誠を守つた。
かくして日本は、
ができた。
明治維新史において、西南雄藩の演じた積極的役割は大きい、
(葦津珍彦「明治維新と国体意識」
「明治維新研究」第1集、昭和35年6月刊)
元々、
出発した靖国神社の宮司に、
や、
精神的に二分せしめなかった「東軍」
決してあり得なかったはずだ。
(