ロックフェスで政治性を拒否する観客が多いことに対して、
Shiroさんのこの意見にもハッとしました。
「表現というものは、已むにやまれぬものではないで
しょうか。」
「そういうものがない表現を求める人ってなんなんだと
なりますが、なんか寒気がしてきたので結論は出さないで
おきます。」
今の観客は、愛が大切、恋は素晴らしい、命は大切・・
このくらいしか聞きたくないのでしょうね。
今なら忌野清志郎の「SUMMER TIME BLUES」なんか
ロックフェスでも観客に拒否されるんだろう。
キヨシローがこの歌を歌っているときは、わしはまだ
原発の安全神話を信じていたので、「左翼的」に偏り過ぎると
思っていた。
ところがわしが間違っていた。
キヨシローの歌は左翼でも何でもなかった。
予言の歌だった。
政治性というより、ロックだったのである。
ロックは党派性があってはダサくなる。
したがってシールズのように、明確に「護憲派」野党の
党派性が見え見えの連中はダサい。
それはロックではない。
ロックはやはり反体制の不良でなければならない。
全体主義が社会を覆っているときに、「王様は裸だ!」と
叫ぶのは「已むに已まれぬ表現」であり、ロックだろう。
だが、特定の政党の味方をして、「安倍政権は裸だ!」と
いうことは党派性であり、反体制にも、ロックにもならない。
「民主党と共産党と社民党は立派な服を着ている!」と
叫んだら、おしまいなのだ。
そもそも民主主義というイデオロギーを信奉している
レベルでは全然ロックにならない。
民主主義そのものを批判することこそがロックである!