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笹幸恵
2016.4.26 14:46

第二の津波

東日本大震災から5年となる

今年の3月11日。

私は仙台にいました。

海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が

5年目にして初めて洋上慰霊を行ない、

その取材をしていたからです。

 

その日の夜、当時の指揮官クラスの人々が

仙台で食事会をするというので、

ボイスレコーダー片手に参入、

このときの内容を座談会としてまとめました。

今発売中の『新潮45』5月号に掲載されています。

 

『海上自衛隊指揮官たちが初めて明かす
「東日本大震災の現場」』

 

あまりメディアに取り上げられることのなかった

海上自衛官たちが、どんな思いで任務に当たっていたのか、

どんな苦労があったのか、

今だから言える裏話、振り返ってみて思うこと・・・等々。

 

このとき、私は「第二の津波」という言葉を聞きました。

第一の津波はもちろん沿岸部をえぐり取った「津波」です。

ならば第二の津波とは何か。

それは「支援物資」です。


あのとき、全国から支援物資が集まりました。

しかし自治体が機能していないから、避難先まで行き届かない。

そもそも仕分けする人手も足りない。

すると集積所で何をしなければならないか。

まず山と積まれた物資のリストアップなのだそうです。

その間、必要なものを必要なときに取り出せない、というのです。

 

熊本でも同じことが起きているのでは?

 

避難場所に生理用品が届かないのは、

社会がタブー視しているからでもなく、

生理用品を送る人がいないからでもなく、

それをさばくだけの機能が現地では失われているからです。

 

私たちが遠くから「あれ送れ」「これ送れ」と言って

実際に手配したとしても、そこから自動的に

避難所に物資が届くわけではありません。

当たり前の話ですが、誰かが届けているわけです。

道路が寸断されていて、届きますか。

集積所がパンク状態で、届きますか。

ネットの情報だけに頼って、輸送や分配の

プロセスに想像がいたらないのだとしたら、

それこそ私たちは「第二の津波」の加担者になりかねません。

 

ぜひとも『新潮45』の座談会をご覧ください。

そこには、東北の人はがんばった、自衛隊ががんばった、

という美談だけでは終わらない、被災現場や救難活動の

実態が語られています。

「生理用品を送れ!」と言っているだけでは済まされない、

別次元の課題もわんさかあるのです。

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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