ゴー宣DOJO

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トッキー
2016.1.22 03:33政治・経済

「廃棄食品の利用法」に関連して

昨日のよしりんブログ
「廃棄食品の利用法」
に関連するコメントを
ライジング読者欄に
いただいたので
ご紹介します!


廃棄食品の利用法として、
「フードバンク 」というものがあります。
まだ食べられるのに廃棄されてしまう食品を、
食べ物に困ってる人や施設に届けるシステムです。
これがもっと広がるといいなと思っています。
子供に無料または格安で食事を提供する
「こども食堂」もいい動きだと思っています。
もっと小さい単位、個人レベルでもできないかなぁ?
とぼんやりと考えています。
私も困ってる子がいたら、
誘って一緒にご飯食べたいです。
一人で作って一人でご飯食べても
つまらないんだもん(´・ω・`)
私の知り合い(40代)が言うには、
小さい頃は外でお腹空かせてフラフラ歩いてると、
「おーい、○○君うちでご飯食べていくか?」
なんて声をかけてくれるところがたくさんあったそうです。
その人は小さい頃、親から虐待を受けていて、
ご飯も食べさせてもらえないことがあったので、
それに本当に救われたと言っていました。
「あの頃は、みんなほんのり優しかった」
という、その人の言葉が印象的でした。
(mayuさん)

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近所のスーパーにはあらゆる食品が溢れていて、
小さいけれど見切り品コーナーも常設されています。
また、職員の方が規定期日を過ぎた品
(賞味期限ギリギリとか)を大きな入れ物に
ポンポン下げているのをよく見ます。
あの大量のまだまだ食べられる食品は
どこへ行ってしまうのだろう・・・と思います。
そして、どんなに豊かに並んだこれらの食品も
「お金」が無くては手に入らない、それは確実です。
「フードバンク」を取り上げた番組を見たことがあります。
集まった食品を必要としている人に送る、
食品だから迅速さも要求されるし、
膨大な手間はもちろん送料もかかる。
一時的に助かるけれど、もっともっともっと
・・・と果てしなくなっていく。
—わずかなボランティアで回転させていくのは
至難と感じられました。
また、貰う方の気持ち、尊厳もあるし、
善意はあれども運営の大変さを感じました。
地域で依頼された役をやっていた頃、
困窮した方に、市で用意した
(住民達の寄付による)米や野菜等をお届けした時、
「俺は乞食じゃねえ!」と品々を受け取りながらも
言われたことがあります。
貰う側の葛藤が伝わってズシン;ときました。
暮れに家で作ったおせちやお餅を小分けして
箱詰めして差し上げた時は、
同じ人が満面の笑顔で受け取って下さったのも
印象に残っています。
—あの「差」とは何なんでしょうか、
重要な何かがあるはずです。
しかし、飢えた子供達が実際にいる、
大量の食べられる食品が廃棄されていく、
先立つモノが無くては手に入らない、
「俺は乞食じゃない!」という気持ち、
—-ここに何らかの≪回すシステム≫が
公的にドカン!と求められていると思います。

 と同時に貴女の仰る
「みんなほんのり優しかった」
という個々の気持ちも。
それは貰うだけでなく、
同様の他人の情況への惻隠の情となり、
自分が何かしてあげる立場にも回れる希望。
—後者の集積の方が実際は大きいと思います—。
(こけけっこーさん)


フードバンク、最近注目されているようです。

単に食べ物を右から左へ横流しするのではなく、
必要なものを必要な数だけ必要なところへ渡す
「マッチング」が重要なのだそうで、
やはりもらう相手のことを考える
気持ちと手間が必要らしく、
運営の大変さがうかがえます
トッキー

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