「道徳」についての
門弟の意見を紹介します!
北米、南米、中東、東南アジアの国に住んだことがあり、
その他の国々にも短期ですが滞在した
経験から少し述べさせていただきます。
その他の国々にも短期ですが滞在した
経験から少し述べさせていただきます。
「道徳」という言葉は、
日本的な響きがあるように感じます。
日本的な響きがあるように感じます。
ほとんどの国の人々に、果たして道徳心があるのか?
と考えたとき、とてもそうは思えない国が多い。
と考えたとき、とてもそうは思えない国が多い。
しかしそれは日本の尺度であって、
それぞれの国や地域に合った、
道徳のようなものがあるのだろうと思います。
それぞれの国や地域に合った、
道徳のようなものがあるのだろうと思います。
それは大ざっぱにいえば、
宗教心と重なるところが大きいでしょう。
宗教心と重なるところが大きいでしょう。
言い換えれば、宗教がしっかり人の心と
結びついている国の人々は、
道徳心があるということです。
結びついている国の人々は、
道徳心があるということです。
中東シリアなどはそのいい例で、
内戦など危険なイメージが強いですが、
一般犯罪はほとんど起こらないところです。
内戦など危険なイメージが強いですが、
一般犯罪はほとんど起こらないところです。
人々が純粋に神を信じ、
生活を律して生きているからです。
生活を律して生きているからです。
宗教とその国の人々が離れるほど、
人の痛みがわからず、犯罪が多くなります。
人の痛みがわからず、犯罪が多くなります。
その意味では、北南米は宗教心が薄い国だと言えそうです。
一方日本はどうでしょうか。
先にも述べられているように、
日本人の道徳心が戦後著しく低下しました。
日本人の道徳心が戦後著しく低下しました。
その原因には、やはり宗教心が関係していると思います。
宗教とは、特定の宗教を信じる、という意味ではなく、
「見えない神の存在を信じ、畏れ敬う心」のことです。
「見えない神の存在を信じ、畏れ敬う心」のことです。
昔の人は、悪事を働いたとき
決して人に見られていなくても
「お天道様はすべてお見通し」と考えました。
決して人に見られていなくても
「お天道様はすべてお見通し」と考えました。
今はどうでしょう?
日本人は無宗教だと言われますが決してそうではない。
昔から人々は自然と共に、
つまり神に与えられた恵みと共に生きてきた。
つまり神に与えられた恵みと共に生きてきた。
それに感謝し、慈しむ心があった。
私は今の欧米の姿を見ていて、
「日本が欧米化されてしまったな」と強く感じます。
「日本が欧米化されてしまったな」と強く感じます。
種類は違いますが、
中東(湾岸諸国はその限りではない)、
南米のアンデスの人々、北米のインディアン、
もちろんアジアの人々との方が
ずっと日本人と近い感性をもっていると思われます。
南米のアンデスの人々、北米のインディアン、
もちろんアジアの人々との方が
ずっと日本人と近い感性をもっていると思われます。
日本がいつまでも欧米に向いている限り、
物質の欲求を満たすこと、個人の欲求を満たすこと、
遅れた国だと差別すること、
そういう傲慢な思考から脱することは
できないだろうと思います。
物質の欲求を満たすこと、個人の欲求を満たすこと、
遅れた国だと差別すること、
そういう傲慢な思考から脱することは
できないだろうと思います。
それは言い換えれば、
日本人が本来持っている道徳心から
どんどん離れていくことを意味しています。
日本人が本来持っている道徳心から
どんどん離れていくことを意味しています。
これもWGIPの大きな結果なのでしょうか。
これをどう取り戻せばいいのか、私にはわかりません。
私の祖父母たち(今生きていれば100歳)には
まだ道徳心がありました。
だから私はかろうじて
その生きざまを見ることができました。
まだ道徳心がありました。
だから私はかろうじて
その生きざまを見ることができました。
しかし今は高齢者が団塊の世代。
とても期待が持てません。
とても期待が持てません。
いったいどうすればいいのでしょうか。
答えのないコメントですみません。
私も先日、街角で
「おじいちゃん! おばあちゃん!
お孫さんが見ています。
交通ルールを守りましょう!」
という標語を見かけて、
頭を抱えてしまいました…。