三島由紀夫は自決前、こんな文章を遺している。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行っら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を
日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が
極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、
私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
(「私の中の25年」サンケイ新聞、昭和45年7月7日)
これと、近年の安倍首相の発言を対比してみる。
「世界一、ビジネス・フレンドリーな国にしたいと、
私たちは言い続けています。
この点、シンガポールに追いつき、できれば追い越したい。
真剣にそう思っています」(平成25年7月26日)
「今日は、皆さんに、『日本がもう一度儲かる国になる』
…ということをお話しするためにやってきました。
私は、日本を、アメリカのようにベンチャー精神あふれる、
『起業大国』にしていきたいと考えています。
規制改革こそが、すべての突破口になると考えています。
もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」
(同年9月25日)
現在の日本が、三島由紀夫の「予言」を恐ろしいほど
的中させてしまっている“不幸な事実”に、改めて気づかされるだろう。