久しぶりに自分がやっているメルマガ『映画の友よ』
の話題をしたく思います、
といっても、最新号のVol.039は今回、私スケジュールの圧迫・・・
というといかにも売れっ子みたいですが、
実際は自己管理の甘さから用意していた原稿が間に合わず、
連載陣に頼ってしまいました。すみません!
http://yakan-hiko.com/risaku.html
今回は、私が講師をしている文章学校の弟子でもある
国際映画祭スタッフ・山口あんなさんの連載「世界を知るための映画」
の最新回『その背に負ったもの〜シリア デモから戦闘へ』を掲載してます。
号全体のタイトルは「映画とデモ 力の連鎖は平和を生むか?」にしました。
安保法案に反対するデモが盛り上がったいまの日本で、これからを占う時、実に示唆に富んだ原稿になっていると私は思います。
山口さんの原稿からはシリアの若者の行動が人々をひきつけていった過程で見える臨場感が伝わってきます。
彼らがいわゆる困窮する若者ではなかった点が清新な行動を生み出せた事、しかしその後に続く「日常を失う」事態とは?
御一読頂ければ。
早くも、ゴー宣道場参加者でもある読者の方から,
ツイッター通して反応頂きました。
「読みました。デモって結局 一揆とか直訴と同じように命懸けの行為なんだという事ですかね」。
これには、なるほどと思いました。
日常にいつでも戻れるつもりでも、
後戻りできない堰をいつの間にか超えてしまっていたり、
超えさせられてしまうこともある。
また周囲に居る人間や同時代の人間が、
そんなつもりはなくても、
いつのまにか無責任に煽ってしまう状態になっていることもあり得る。
たとえ非暴力のデモであったとしても、同時代の人間は、
勢いに任せて煽る前に、
自爆テロをする若者を子に持った親と同じ覚悟を持てるかどうかという想像力を、
一度はくぐってみるべきなのかもしれないのかな……
と思い始めてきたのですが、いくらなんでも大げさでしょうか?