イジメについて一般的な感想を尋ねられたりする。
そこで参考までに、私なりの乏しい知見や体験に基づき、
もし採用できる部分があれば採用し、
イジメは無論、
だが、ここでは一先ず除外。
さしあたり、子供の世界でのイジメに限定しよう。
それは、
何より、身近に起こっても、
何しろイジメている当人たちでさえ、
“イジメている”
しばしば(
同級生たちも、
イジメられている子供からして、自尊感情から暫くは、
イジメの発端が明確でない場合も多い。
第3者の何気ない言動から、徐々に始まったり。
また、
被害者の子供は一般に、
親たちに隠そうとする。
それは様々な心理によるが、子供には、えてして
「イジメられる子イコール価値的に劣った子、駄目な子」という、
だからこそ親は、
予めそのことを織り込んで、
まず親から先回りして、
何ら恥ずかしがる必要はないから、
丁寧に言い聞かせておく。
それでも勿論、
子供の「変化」に十分、
よく言われるのが、
連絡用ノートを見せたがらないとか。
或いは鉛筆や消しゴムなどの消耗が早くなったり、
靴や服も汚れたり、
ゲームソフトその他、
友達と遊びに出かけなくなったり。
ことさら明るく振る舞ったり等々。
傷や痣があったり、
既にかなり深刻。
とにかく、
敏感でなければならない。
もし本人がイジメの被害を語ったり、
あまり気付かれていないかも知れないが、
昔(?)の「部落差別」
親たちが「
私が子供の頃、幸い、わが両親はそうした差別を断固、
或いは、たまたま私が承知している、
その子の父親が、奥さんに暴力を振るって離婚。
ほどなく、自分がやっている飲み屋で働く外国人女性と、
本人には然るべき理由があったのかも知れない。
だが田舎なので、そうした例は稀。
人々の倫理観とも齟齬した。
だから、地元の大人たちの多くは、彼を嫌悪し、侮蔑した。
同級生の親たちも同様。
「
その子は仲間外れにされ、やがてイジメの対象に。
その子自身には何の非もない。
全く理不尽な話だ。
同級生の中にも、その子と仲良くなりたかった子もいたはず。
こうしたケースでは、教師も効果的に対処するのが難しい。
もし、これが深刻な事態を招き、
これと似たようなケースは結構、
今だから言うが、「新しい歴史教科書をつくる会」
異常なバッシングに晒されていた当時、
露出もあり、
つくる会事務所への放火事件があって、
(
通学路の地図も提出)。
その頃、
私の懸念は、
つまり父親である私が、
イジメの問題は一筋縄ではいかない。
まさに千差万別。
デリケートな個別の事情を見ないで、親の責任か教師の責任か、
言ってみれば、
それぞれ立場や実際の行為に伴う責任があり、
イジメを見逃していた同級生も、
(
イジメが学校で起こっている以上、
だが、わが子を本気で守りたいなら、
例えば、愚息が小学生の頃、
暴走して、
私はやむなく校長と担任を説得し、他のお母さんたちと共に、
(
或いは、
結成し、
交代で校内の見回りを続け、
知っている。
無論、どちらも“
当たり前ながら、親たちが節度なく、
学校の日常に直接関与したのでは、
成り立たなくなる。
また親の側も平素、そんな暇はまずない。
しかしイザという時には、わが子を守る為に、
(
含めて)ーという覚悟を、
わが子を守る責任は、