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高森明勅
2015.8.3 11:00

イジメ寸感

イジメについて一般的な感想を尋ねられたりする。

そこで参考までに、私なりの乏しい知見や体験に基づき、
目下の考え方の一端を、記してみる。

もし採用できる部分があれば採用し、
棄てるべき部分は棄てて頂ければ幸いだ。

イジメは無論、大人の社会にも普通に存在する。

だが、ここでは一先ず除外。

さしあたり、子供の世界でのイジメに限定しよう。

それは、大人の場合と比べて、時に重大な結果に繋がる一方、
複雑かつ微妙な性格を持つ。

何より、身近に起こっても、実態がなかなか見極めにくい。

何しろイジメている当人たちでさえ、
“イジメている”
という意識を「本当に」持っていないケースも
しばしば(
大人の場合、こうしたケースは珍しいだろう)。

同級生たちも、ちょっとした悪ふざけと軽く見ている場合も。

イジメられている子供からして、自尊感情から暫くは、
自分がイジメられていると認めたがらなかったり。

イジメの発端が明確でない場合も多い。

第3者の何気ない言動から、徐々に始まったり。

また、泉美木蘭さんが指摘されたように、
被害者の子供は一般に、
イジメられている事実を
親たちに隠そうとする。

それは様々な心理によるが、子供には、えてして
「イジメられる子イコール価値的に劣った子、駄目な子」という、
客観的には必ずしも正しくない思い込みがあり、
親にそのように見られたくなくて、親が好きであればあるほど、
徹底的に隠そうとする傾向がある。

だからこそ親は、わが子を守りたいのであれば、
予めそのことを織り込んで、
対処しなければならない。

まず親から先回りして、イジメられても
何ら恥ずかしがる必要はないから、
ちゃんと話すよう
丁寧に言い聞かせておく。

それでも勿論、イジメを隠す可能性はあるから、
子供の「変化」に十分、
気を配るべきだ。

よく言われるのが、家庭で学校や友達の話をしなくなる、ということ。

連絡用ノートを見せたがらないとか。

或いは鉛筆や消しゴムなどの消耗が早くなったり、
筆箱や鞄が汚れたり、傷ついていたり。

靴や服も汚れたり、破れたり。

ゲームソフトその他、子供の持ち物が無くなっていたり。

友達と遊びに出かけなくなったり。

ことさら明るく振る舞ったり等々。

傷や痣があったり、親の財布からお金を盗むようなら、
既にかなり深刻。

とにかく、単なるマニュアル的な対応ではなく、
一緒に暮らしている者だけが感じ取れる、
イジメを窺わせるわが子の様々な“シグナル”に、
敏感でなければならない。

もし本人がイジメの被害を語ったり、
何らかの変化を見つけた場合、間髪を容れず、
しかし慎重に行動を開始する必要がある。

あまり気付かれていないかも知れないが、
親がイジメの原因という場合も。

昔(?)の「部落差別」などによるイジメは、その典型例。

親たちが「あそこの子とは遊んではいけない」と言い付けるとか。

私が子供の頃、幸い、わが両親はそうした差別を断固、
否定していた。

或いは、たまたま私が承知している、こんなケース。

その子の父親が、奥さんに暴力を振るって離婚。

ほどなく、自分がやっている飲み屋で働く外国人女性と、
内縁関係に。

本人には然るべき理由があったのかも知れない。

だが田舎なので、そうした例は稀。

人々の倫理観とも齟齬した。

だから、地元の大人たちの多くは、彼を嫌悪し、侮蔑した。

同級生の親たちも同様。

あんな男の子供をうちの子の友達にはしたくない」と。

その子は仲間外れにされ、やがてイジメの対象に。

その子自身には何の非もない。

全く理不尽な話だ。

同級生の中にも、その子と仲良くなりたかった子もいたはず。

こうしたケースでは、教師も効果的に対処するのが難し
い。

もし、これが深刻な事態を招き、メディアに取り上げられても、
恐らく関係者の誰も正確な事情を語らず、
真相が正しく報道されるか疑問。

これと似たようなケースは結構、少なくない。

今だから言うが、「新しい歴史教科書をつくる会」
異常なバッシングに晒されていた当時、
事務局長としてメディアへの
露出もあり、
教師も含めた私への偏見から、
子供にもイジメや仲間外れなどの被害が及ぶ心配をした場面もあった。

つくる会事務所への放火事件があって、
自宅周辺の警察の巡回が強化され、
それが近所から不審の目を向けられたり
この時は警察からの要請で、念のために子供たちの
通学路の地図も提出)。

その頃、ソーシャルメディアが今のように発達していたら、
私の懸念は、
かなりの確率で現実になっていたのではないか。

つまり父親である私が、
わが子のイジメの原因になっていたかも知れないのだ。

イジメの問題は一筋縄ではいかない。

まさに千差万別。

デリケートな個別の事情を見ないで、親の責任か教師の責任か、
二者択一で判断できるような単純な話ではない。

言ってみれば、関係者は皆、
それぞれ立場や実際の行為に伴う責任があり、
それらが具体的なケースごとに、様々に組み合わされている、
という捉え方が求められよう。

イジメを見逃していた同級生も、
多くの場合で一定の責任があるのは、言うまでもない
場合によってはその親も)。

イジメが学校で起こっている以上、
教師に大きな“現場責任”があるのを否定する人は、まずいないはずだ。

だが、わが子を本気で守りたいなら、
学校での生活に親は「直接関与」できないと、
頭から決めてかかる訳にはいかない。

例えば、愚息が小学生の頃、モンスターペアレント(の走り?)が
暴走して、
クラスを混乱に陥れそうになったことがある。

私はやむなく校長と担任を説得し、他のお母さんたちと共に、
大胆に直接関与して
私自身が教室で子供たちと一緒に給食を食べたり)、
問題を解決した経験がある。

或いは、荒れた中学校に通う生徒の父親たちが「おやじの会」を
結成し、
やはり学校での日常に直接関与。

交代で校内の見回りを続け、学校生活の平静を取り戻した実例も
知っている。

無論、どちらも“非常時”の話。

当たり前ながら、親たちが節度なく、普段からてんで勝手に、
学校の日常に直接関与したのでは、
学校教育そのものが
成り立たなくなる。

また親の側も平素、そんな暇はまずない。

しかしイザという時には、わが子を守る為に、
学校の日常にまで(冷静かつ慎重に)直接関与する
もし教師や学校が怠慢、鈍感、無責任等なら、その姿勢を糺すのも
含めて)ーという覚悟を、
親たる者は持っておくべきではないか。

わが子を守る責任は、
最終的には親以外の誰にも押し付けることが出来ないのだから。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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