先週の話になりますが、
舞鶴に仕事で行ってきました。
引揚記念館は半年前に行った(現在はリニューアル中)
ので、今回は近くにある引揚桟橋へ。
そう、あの「岸壁の母」で知られる桟橋です。
復元された桟橋は、かなりこじんまりしています。
当時は桟橋がずっと延びていたようです。
湾内に杭らしきものがたくさんあるのは、
その名残ではないかと思うのですが、
正確なところはわかりません。
私の祖父は、ソ連の抑留から帰ってきた一人でした。
私がハタチくらいのときに亡くなりました。
滅多に会わず、会っても山形弁バリバリで、
ほとんど意思の疎通ができませんでした。
また、かなりファンキーなじいちゃんで、
バイクをかっ飛ばしてドブに突っ込んだり、
入院したらしたで、「コーラが飲みたい」という理由で
病院を脱走したりしていました。
祖母亡き後、一時期我が家で生活を共にして、
そのとき戦争の話を少しだけ聞きました。
方言から何とか聞き取れたことは、
満洲にいたこと、部隊とはぐれて木の上で
生活していたこと(よもや脱走じゃないだろうね)、
他の部隊に救い出してもらったこと・・・。
翌日、もっと詳しく聞いてみようと思ったら、
家出していました。
(最終的には、叔母の家で生活していました)
その祖父も、もしかしたら内地の土を踏んだのは
ここ舞鶴だったかもしれません。