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トッキー
2015.5.1 02:04政治・経済

当事者意識を持って安保法制を考えよう!

小林よしのりライジングVol.130
「安保法制と戦死者の祀り方」
を巡って、読者の皆さんの間でも
活発な意見や感想の交換が行われています。

その中の1本をご紹介します。



神回と言われた先日のゴー宣道場を動画で拝見し、
その中で小林よしのり先生が
『とにかくこれからは、モノを考えるチャンスを
逃がさない方がいい。そうしなければ、
どこに連れて行かれるかわかったものではない』
と仰っていたのが印象的でした。

モノを考える上で「当事者意識を持つこと」が
いかに大切なことか常々感じるのですが・・・、
私はそれがなかなかできない未熟者です。

そんな私ですが、ごっさんの文章を読んで、
  (注 / 現在小1の長男がもし将来
  「日本を守るために自衛隊に入る!」と言ったら・・・という内容)
「もしも自分の子供が・・・」と頭を巡らせることは、
「当事者意識を持つこと」の第一歩のように感じました!
ごっさんには、モノを考えるチャンスを頂き、感謝です☆
では親の立場、子を見送る側から考えてみると。
『日本の歴史にとって意義のある戦争』に
子が覚悟を決めて前線に赴こうとする時であっても、
きっと「公」と「私」をゆさぶられることになるでしょうね。
葛藤が無いなんてことは考えられないです。
だけど、宿命を受け入れて運命を切り拓くという
「主体性」に基づく戦争ならば、見送る親としても
「覚悟」を固めることができるのではないかと考えます。

ところが『アメリカの侵略戦争を支援する戦争』となると、
そこには主体性など無い。
【武士として赴く戦争】と【足軽として赴く戦争】とでは
国民としての「覚悟の質」が
大きく変わってしまうと思います。

ここで以前のゴー宣で述べられていた
『どこかに「国家」という得体の知れない
怪物がいて、それに人々が洗脳されて
いつのまにか「国民」にされているというのではなく、
「国民」が国を動かす主体なのである。』
が思い出されます。

やはり【戦死者の祀り方】は、
国と国民の関係性の根本に係わることだと思いました。
そしてこの国の「主体」が、一体どこにあるのかが
鋭く問われる事柄だと感じます。
日本が『独立国』なのか『属国』なのか
その分水嶺になりえる問題だと思いました。

だから私は、日本は独立国としての戦争以外は、
絶対にしてはいけないと考えます。
(カレーせんべいさん)



安倍晋三が米国に行って何を約束し、
その結果将来の日本に
何が起ころうとしているのか、
国民はあまりにも無関心です。

これからは、アメリカの戦争で
自衛隊から戦死者が出るように
なるのです!

そして、その時に戦死者を
どう祀るかを、誰も一切
考えていないのです!

かつて自称保守派は
「自衛隊に誇りを持てるよう世の中にしよう」
と言っていたはずなのですが、
その結果が、これです。

実は自称保守派は、
自衛隊が誇りを持てない戦争をして、
戦死者が出たところで、
そんなことは「人ごと」としか
思っていなかったのです。

一方、リベラル左翼の
集団的自衛権・安保法制反対が
一向に世論を動かさないのは、
イデオロギー化しているからです。
これはこれで「当事者意識」を
欠いているのです。

国民の「当事者意識」を
どこまで覚醒させられるか?

それが決定的な問題
ではないかと思います。
トッキー

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