晴天の平日、時間を作って東京・八王子市の武蔵陵墓地へ。
JR中央線で高尾駅に向かう。
天気が気持ち良いので、
結構、遠い。
でも、
但し、
以前、
今日はさすがに人影を見ない。
と、
初老の男女が歩いて来られた。
静かに会釈を交わしてすれ違う。
まず多摩陵(たまのみささぎ)
言う迄もなく、第123代大正天皇の御陵。
木々の間を爽やかな風が吹きすぎて行く。
空気が清らかだ。
鳥居をくぐり、二拝二拍手一拝。
ふと、大正10年の御製(
「神まつる わが白妙(しろたえ)の 袖の上(へ)に かつうすれゆく
みあかしのかげ」を思い浮かべた。
世に知られている大正天皇の最後の御製。
この御製については、
「神をまつる天皇の白い衣の上に、
作者なのである。
ちがいない」と。
この年の11月、皇太子だった裕仁(
が、
次に貞明皇后の御陵、多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)
そこから、武蔵野陵(むさしののみささぎ)へ移動。
晴れ渡る青空の下、緑したたる荘厳な昭和天皇御陵に参拝。
昭和35年の御製が心中に甦(よみがえ)る。
「さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる」
まさに天皇にしか詠めない御製。
続いて、
(むさしののひがしのみささぎ)
帰り道、地元にお住まいらしい年輩の男性とすれ違う。
陵墓地を管理する職員の方と挨拶を交わし、
清々しい気分で駅に戻る。
中央線に乗り、立川駅で下車。
ほど近い国営昭和記念公園にある花みどり文化センター内の
昭和天
こじんまりとした施設ながら貴重な展示品が。
まず、
そもそも、
まして、あの終戦の詔書の原本が、
知らないで訪れた人は驚くだろう。
昭和42年から使われた国産初の御料車(昭和天皇の専用車)
当時のわが国自動車製造技術の粋を集めて開発され、
今もピカピカだ。
但し、これは「
やむを得ないことながら、
「皇太子」
というのは、
更に、
また、皇居の生物学御研究所内の様子も、
復元されている。
ご研究用の机や椅子、
その辺の大学の研究室の方が遥かに贅沢だろう。
ご執務用の机や椅子は勿論、それよりはずっと立派。
でも、
国家の体面に関わる御料車などは最高のもの。
ご公務用の机や椅子は、並みの立派さ。
ご自身のご研究については極力、倹約されていた。
そうした事実を、すべて現物によって、
係の人に依頼して、
「
昭和天皇のお声も聞けて、昭和世代には懐かしく、
わずか10分ほどだが、
帰りに、記念品のボールペンを一本、求めた。
電車の中では、遠い日の光景を思い出していた。
大喪(たいそう)
冷雨の青山通りには、
見送る人々が、
お車が近づくと、
あれは、