かつて、政府が靖国神社に代わる「無宗教」 の国立追悼施設建設の
可能性を探ろうとしたことがある。 戦後も長年にわたりルバング島で孤独な戦いを続けられた
故・ 小野田寛郎氏が、激しく批判されていたのが記憶に新しい。
靖国神社は、戦争で亡くなられた方々を丁重に祀る
「 死者との約束の場所」。
生者の勝手な政治的思惑でないがしろにするのは断じて許せない、 と。
心ある国民共通の思いだろう。
無宗教の追悼施設のプランは、
まだ完全に白紙に戻った訳ではない。
これをいわゆる「靖国」問題解決の
“切り札” にしようと企てる動きが根強くある。
しかしそれ以前に、戦後70年にあたり、
そもそも「 死者との約束」はどうなっているのか。
靖国神社の神職の方々が日々、
敬虔にご奉仕すれば良いという話ではない。
英霊の祭祀を国家としていかに位置付けるのか。
その課題が放置されたままだ。 靖国神社に於ける死者との約束は“いつ”結ばれたのか、
というごく初歩的な疑問を抱いた外国の人がいたらしい。
そのことを私に尋ねた方がいる。 ことさら契約書を作り、署名・捺印をして…
という約束では無論ない。
戦死すれば靖国神社に祀られると
確信して死地に赴いた。
それは大東亜戦争はもとより、日露戦争当時もそうだったし、
近代日本にとって最初の対外戦争だった
日清戦争後の合祀の臨時大 祭にも、既に明治天皇のお出ましを
仰いでいる。
更に遡れば明治元年に、国家の命運に一命を捧げた人たち
( 王事に身を殲〈ほろぼ〉し候〈そうろう〉輩〈ともがら〉) を
祀る社を創建すべし、 との明治天皇の思し召しが太政官布告として
示されている。
よって、翌年に靖国神社の前身、 東京招魂社が創始された事実
そのものが、 その約束の成立を意味したと考えてよいだろう。
尊厳な死者との約束こそが靖国神社創建の根拠だったとも
言い得る 。いずれにせよ、現代の日本人はその「約束」をもう一度、
思い出すべきだ。
可能性を探ろうとしたことがある。
その時、
故・
靖国神社は、戦争で亡くなられた方々を丁重に祀る
「
その死者との神聖かつ厳粛な約束を、
それは勿論、小野田氏だけでなく、
だが、
政界やメディアには、
“切り札”
警戒を怠ってはならない。
しかしそれ以前に、戦後70年にあたり、
そもそも「
ただ、
英霊の祭祀を国家としていかに位置付けるのか。
その課題が放置されたままだ。
ところで、
そのことを私に尋ねた方がいる。
この「約束」は、
それでも兵士は皆、
確信して死地に赴いた。
それは大東亜戦争はもとより、日露戦争当時もそうだったし、
日清戦争後の合祀の臨時大
仰いでいる。
更に遡れば明治元年に、国家の命運に一命を捧げた人たち
(
祀る社を創建すべし、
示されている。
よって、翌年に靖国神社の前身、
そのものが、
或いは、
言い得る
思い出すべきだ。