京都大学に機動隊が入って、中核派のアジトを捜索したらしい。
そのアジトがオウム真理教のサティアンそっくりで、
幾重にもガードされたドアがあり、室内では大勢の若者が
共同生活しながら、暴力革命を目指している。
今どき過激派に入る若者は「純粋まっすぐ君」で、理想を
求めるがゆえに、反資本主義になるのだが、資本主義も無制限
なら、暴走して、過激派と変わらぬ市民への暴力となるのは
事実である。
しかし今どき60年代から活動しているジジイが、若者を洗脳
しているのだから呆れる。
大学は政治勢力からの干渉を受けずに、教育・研究を自由に
行える自治を持つと言うが、自治を無制限に認める「聖域」を
作ってしまうと、それを悪用してカルト信仰が温存され、
増長し、いつか暴力に結びつき、無辜の民を殺傷する最悪な
事態を招いてしまう。
信仰の自由も、言論の自由も、同様だ。
過激派も、在特会も、カルト宗教も、公安の存在意義を確固
たるものにする理由付けを与えている。
願わくば公安はネットの中も目を光らせておいてほしい。
左翼過激派がネトウヨの中に潜入している可能性が極めて高い
からだ。
わしはかつて公安警察に二人、会ったことがある。
二人ともなかなか好感が持てる人物だったが、わし自身を監視
しているのかもしれないと思って警戒した。
公安にも警察にもわしのファンがいるようだし、彼らはプロ
として「公」のために働いているのだろう。
それでも、わしにさえ警戒されねばならない仕事というのは、
実に大変だなあと同情する。
わしとしては権力を無警戒に信用することもできないし、
公安には同情しながらも警戒せざるを得ないのだが、
左翼過激派や右翼過激派(ネトウヨ)がいる限り、
市民の側にとっても必要悪だと言わざるを得ない。