ゴー宣DOJO

BLOGブログ
高森明勅
2014.4.26 05:44

もう少し寛容になれないか

高校でクラス担任の女性教諭が息子の入学式に出席するために
勤務
校の入学式を欠席した。

制度上は、その先生のやったことに何の瑕疵もない。

しかし、教師としての倫理上、疑問視する声がある。

これをどう考えるか。

自分の子や孫を学校に通わせている人達にとっては、
他人事ではないかも知れない。

私の結論を一言で言えば
この種の問題は単純に○か×かで一律には裁断出来ない」
ということに尽きる。

それはこういうことだ。

――自分がその教師の立場だったらどうするか?を考えてみる。
例えば、伴侶がいて、仕事を休むなりして
息子の入学式に出てくれるなら勿論、
勤務校の入学式に出る。
だがそれが無理なら?

この場合も、自分の子供の年齢によって対応は
かなり違ってくるだろう。

我が子が小学校の入学式ならかなり悩ましい。

心情としては出てやりたい。

幸い勤務校は高校だ。

クラスの生徒にしっかり説明すれば大方、理解して貰えるだろう。

但しその理解度も、
クラスや校内の雰囲気に左右される部分がある。

もし勤務校が小学校なら、残念ながら絶対休めない。

中学校でも微妙だろう。

一方、我が子が高校の入学式なら、
逆に教師という仕事に伴う責任の大きさを分からせる良い機会だ。

きちんと説明して勤務校の入学式を優先する。

そうすれば、
その子も自分の担任の先生の大変さを少しは気づくだろう。

勿論、子供には帰宅後、
家族みんなで入学祝いを精一杯やってやるなどの配慮は欠かせない

だがたとえ高校生でも、その子が中学生時代にイジメられていたり、
不安定な心理状態だったり、
劣等生だった子が他の子の何倍も努力して
やっと合格した念願の入
学だったり、
その他何か特別な事情があれば、話は簡単ではない。

――というように、一筋縄ではいかない。

そのことを承知すべきだろう。

ニュースになった教諭の息子は高校の入学式だったようだ。

だが今述べたように、その子を巡る事情も知らないで、
一概には責められない。

来賓としてその入学式に出席した県会議員が担任教諭の欠席を
憤慨
したそうだ。

あるいは地元の教育委員会に欠席を問題視する匿名(!)
の電話が入ったらしい。

メディアがこの問題を取り上げたのも、怪しからん!
という感覚があってのことだろう。

だが、彼らは詳しい事情を知っていたのか。

恐らくそうではあるまい。

パチンコへでも行って休んだのなら、
遠慮会釈なく徹底的にやっつければいい。

だが今回報じられたのは、そうしたケースではない。

上司や校長とも相談し、
生徒や保護者には欠席を詫びる手紙も用意してのことだ。

教師という立場の重さは、私も承知しているつもりだ。

しかし、事情も分からずに憤慨し、短兵急に責め立てるのはいかがか。

教育上も、マイナスはあっても、プラスにはならないだろう。

これは自戒の念も込めて言うのだが、
もう少し寛容になれないものか。

なお、誤解のないよう念の為に付け加えておく。

私は全ての問題について是非善悪を「一律に裁断出来ない」
などと言っているのでは、決してない。

女性宮家の問題にしても、首相の靖国神社参拝の問題にしても、
憲法改正や原発の問題にしても、
責任を持って明確に結論を出すべきことは言うまでもない。

だが、そうではない種類の問題もあって、
その区別を見失いたくないというだけだ。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

次回の開催予定

INFORMATIONお知らせ