「一人でいて淋しくない人間になれ」
『大東亜論 巨傑誕生篇』
に出てくる頭山満のこの言葉は、
現代にこそ生きている、という
感想をたくさんいただいております。
首相在任中のことや、
その思想性については
批判したいことは山ほどありますが、
そのパーソナリティーについていえば、
細川護熙氏、小泉純一郎氏も
「一人でいて淋しくない人間」
かもしれません。
何しろ二人とも、
首相まで経験しながら、
あっさり政界を引退し、
その後、何の団体・党派にも属さず、
世俗的な関わりを絶って
平然と暮らしていたのですから。
そんな二人が、今になって立ちあがったことには、
「脱原発」を成し遂げなければならないという
止むにやまれぬ使命感のような思いが
あったのではないでしょうか。
ところが、それを揶揄・嘲笑していたのが、
昨日(1.19)の産経新聞の
湯浅博という記者のコラムです。
しかし、さすが貧乏産経新聞には、
有能な記者がいない!
批判が批判になってない!
だって、こんなこと書いてるのですよ。
ある政治学者は50代、60代では
おいしい物を食べたい、女にもてたいと思うものだが、
70代、80代になると頭脳は「天下国家のために」
という使命感の塊になりがちだという。
おいしい物を食べたい、女にもてたいと思うものだが、
70代、80代になると頭脳は「天下国家のために」
という使命感の塊になりがちだという。
今回は「原発ゼロ」が正義だから、
「次の東京五輪を迎えると、82歳になる」
と忠告しても、聞く耳はお持ちでない。
と忠告しても、聞く耳はお持ちでない。
これ、何が言いたいんでしょうか?
政治家が「天下国家のために」との
使命感の塊になっちゃいけないって言いたいんでしょうか?
おいしい物を食べたい、女にもてたいとしか
考えない政治家こそが健全だと言いたいんでしょうか?
一人でいられない人間は、
集団に埋没してしまって、
ここまでバカなこと
書いても気付かないほど
書いても気付かないほど
劣化してしまうのです。
一人でいて淋しくない人間になれ!
いまこそ注目せよ、
明治の男たちの生きざまを!