今日も、
『大東亜論 巨傑誕生篇』
に寄せられた感想を
ご紹介していきます!
まずは、「小林よしのりライジング」
のコメント欄から
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大東亜論もさっそく購読しました。
正直なところSAPIOの連載では
あまり物語に入り込めていなかったのですが、
あまり物語に入り込めていなかったのですが、
単行本として読むと面白さや興奮は段違いで
一気に読み切ってしまいました。
一気に読み切ってしまいました。
そして今月発売されたSAPIOで新章に入った大東亜論は、
単行本の興奮冷めやらぬまま、もう次の話が待ち遠しいです。
現代では女性の方が
明治の男たちの物語を
深く、感性豊かに
捉えられるのでしょうか!?
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次は、「ゴー宣道場」の
門弟女性の感想を
2本ご紹介。
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先ず思ったのは「歴史は人が作る」事を
忘れてはならないということです。
忘れてはならないということです。
当たり前なんですが、テスト勉強のように
歴史を頭に入れていくだけだと、
ある事象の原因であるはずの人間の思想や行動が、
箇条書きのコメントで済まされてしまう。
テスト対策であれば仕方なし、
でも歴史から学ぶ、となったら暗記で済むはずがありません。
大東亜論では「人物」が描かれます。
維新を経た日本のあるべき姿を実現せんと、
様々な視点から「思想を持った人物」が、
これでもか、という具合に現れてワクワクするのですが、
うっかりすると百年ちょっと前に実在した人物
という事を忘れて読んでしまいます。
そのくらい出来すぎたように魅力ある人物だからでしょう。
維新を経た日本のあるべき姿を実現せんと、
様々な視点から「思想を持った人物」が、
これでもか、という具合に現れてワクワクするのですが、
うっかりすると百年ちょっと前に実在した人物
という事を忘れて読んでしまいます。
そのくらい出来すぎたように魅力ある人物だからでしょう。
そして、人物は人物を知る、といったエピソードが
繰り返し出てきます。
そのエピソードのうねりが歴史の表舞台に表れてくる、
それが「歴史は人が作る」ことの根本になるなら、
人物を誤らずに見極めることは、歴史そのものを見極めること。
繰り返し出てきます。
そのエピソードのうねりが歴史の表舞台に表れてくる、
それが「歴史は人が作る」ことの根本になるなら、
人物を誤らずに見極めることは、歴史そのものを見極めること。
そう感じ、次に思ったのは
「いかに伝えるか」ということです。
「いかに伝えるか」ということです。
大東亜論で、杉山茂丸が伊藤博文を
暗殺する目的で対面を果たすエピソード、
論破されてヒョロヒョロと帰る杉山のコマのところで、
少し読むのを止めて考えてしまいました。
暗殺する目的で対面を果たすエピソード、
論破されてヒョロヒョロと帰る杉山のコマのところで、
少し読むのを止めて考えてしまいました。
殺されるかもしれない状況で杉山と対面した伊藤と、
今の私は1歳しか違わないんです(私のが上!)。
いや、もちろん比べるのがおかしいんですが、
例えば今、成人式を迎えたばかりくらいの子を相手にして、
自分は伝えるべき事柄を、きちんと自分のものに
出来ているだろうか、と想像してしまったんです。
それは架空の相手を想像するより、自分の娘に
伝えることが出来るだろうか、と、
まさに自分自身のこととして考えさせられるエピソードでした。
伊藤に杉山を仲介した山岡鉄舟の紹介文も見事で、
こういう事が出来る大人が、現在どれだけ
いるだろうとおもってため息が出てしまいます。
こういう事が出来る大人が、現在どれだけ
いるだろうとおもってため息が出てしまいます。
そして、すでに自分がそんな事を求められて
しかるべき大人の年齢を重ねているのだと。
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先週の土曜日に大東亜論を入手し、少しずつ読み進めていますが、
まだ読了していません。私の場合、本を読む一番の環境は電車の
中だったりするのですが、大東亜論は、持って出るのが物理的に
難しいこともあり(笑)、まだ読み終えられていません。
なかなか進まないのはもどかしいところもありますが、
じっくり少しずつ読んで長く楽しみたいと思います。
少し前に、ゴッドファーザーの原作を読んだのですが、どれだけ
完成度の高い映画でも、そのよさが原作さえも上回るなんてそうは
ないはずなのに、大ベストセラーの原作より、ずっと映画の方が
素晴らしいのだな、と実感しました。馬の首が脅しに使われる
シーンも原作にあるのですが、場面の印象深さは映画の足元にも
及びません。つくづく、目で、耳で、演者で見せる(魅せる)という、
映画ならではの醍醐味がつまった作品なんだなあ、と原作を
読んだことで、映画のよさを再確認できてしまいました。
まだ途中ですが、大東亜論にはそれと同じような印象を持ちました。
絵に引き(惹き)込まれ、目で楽しみ、それぞれのキャラクターに
魅せられながら物語を堪能していくという、小説とは違う、まさに
漫画ならではの醍醐味だと思います。
それと、編集部の要望に、大東亜論で女のエロティシズムを出して
ほしいというのがある、とブログに書いていらっしゃいましたが、
女性読者のひとりとしても、紙面から、頭さま(笑)の体臭さえ
立ちのぼってくるような展開を、つい期待してしまいそうです(笑)
誤解のないように申しますと、別にそういうシーンを殊更読みたい
というのとは少し違いまして、血生臭い場面もたくさんある中で、
本筋から少し離れた、特に色気を伴うエピソードも入ることで、
より登場人物に血が通うといいますか、人間味が帯びてさらに
読者(特に女性でしょうか)に近づいてきてくれます。
それによって、血生臭い場面も、私たちから離れたところでの
アクションシーンなどでは決してなく、我々読者となんら変わらない、
いつかは朽ち果てる生々しい肉体を持った人間の行いのひとつ
なのだと実感できるのではないかと思います。
現代では女性の方が
明治の男たちの物語を
深く、感性豊かに
捉えられるのでしょうか!?
まだまだ感想
お待ちしております!!