小林先生にいわれて、
ふと自分の死生観について
思いめぐらせてみました。
「千の風になって」という歌は、
私も共感できます。
ソロモンにいるときでも、
晴れ渡った空や風雨、
ジャングルのざわめきに
いつも耳を傾けます。
私自身もまた、もし自分が死んだら、
風になって親しい人々を
見守りたいとも思います。
でもそれは、天寿を全うしたらの話。
もし自分が抗うことのできぬ
時代の波に押し流され、
死に折り合いをつけられないまま
倒れたとしたら、せめて、せめて
自分がいたことを忘れないでくれと
願い続けるでしょう。
怨念のように、ドロドロと。
誰かに見取ってもらいたい。
誰かに認めてもらいたい。
「かえりみはせじ」と言いたいけれど、
心の中では「かえりみてーー」と叫ぶ。
嗚呼、この悪あがき。
我ながら女々しすぎる。
小林先生や高森先生には、以前、
「骨にしか興味がない女」と
からかわれました。私自身も
「もしや自分はそうなのか?」と
思い悩んだこともありました。
けれども、私の遺骨収容の原点は、
ブーゲンビル島で見た、
60年以上も野ざらしになったままの
兵士たちの姿。
私にとって戦没者の遺骨とは、
骨そのものがどうというより、
忘れ去られてしまった時代と、
戦後日本の悲しいまでの無関心、
その象徴なのです。
だから執着するのです。
また、日本人は果たして遺骨に
執着しているのか、私は疑問に思います。
もしそうなら、遺骨収容事業はとっくに
終わっていることでしょう。
ただし、愛国心の拠りどころとしての
「信仰」は芽生えているように感じます。
数年前まで誰も見向きもしなかったのに。
硫黄島でより多くの人が参加できるように
なったこともあるでしょう。
すると、草生す屍の存在より、
参加した自分は偉い、
愛国心を持った自分は誇らしい、
そうしてイデオロギーと結びつき、
排他的にならないとも限らない。
私も気をつけなければなりません。
しかし少なくとも今、私が現場で感じるのは、
悲しみと怒りだけです。
愛国心どころか、「何が誇りある国家だ」と
忌々しささえ覚えます。
「こんなところで死なせるために
腹を痛めて生んだわけじゃない!」
いや、まあ、自分で腹を痛めた
わけではありませんが。。。
つい母親の感覚になってしまう自分がいます。