安倍首相の靖国神社参拝問題が
次回道場のテーマになるとのこと、
大賛成です!
私もずっと考えていました。
家の窓ふきをしながら。
黒豆を煮ながら。
果たして首相は参拝を
続けるべきかどうか。
前回のメールで、私は、
この先どれほど説明しても(靖国参拝を)他国に
理解してもらうことはできないだろうという
悲観的な思いがあるからか・・・云々
と書きました。
これは少し前に、ある英国人と
話したときのことを思い出したからです。
知日派でインテリの彼は、
靖国神社の参拝についてこう言いました。
「A級戦犯が合祀されているのだから、
参拝は避けるべきだ」と。
もちろん私はそれについて、
一度合祀された方々を後世の都合で
勝手に分祀はできないこと、
そもそもA級戦犯は日本では
法務死となっており、
なんら罪人ではないことなどを伝えました。
しかし彼は、そうした主張をすべて知った上で
参拝を避けるべきだとの意見を
持っているようでした。
このとき私は、「日本の常識」と「海外の認識」には
大きな隔たりがあるように感じたのです。
どんなに正しい主張でも
国際社会においては通用しないことがある。
逆にどんなに荒唐無稽な主張でも、
たとえばロビー活動を熱心にやっていれば
いつの間にか「国際社会の常識」になることがある。
従軍慰安婦問題がその典型だ。
日本はそれだけのロビー活動ができるだろうか。
もしやったとして、そもそも今から間に合うのか。
よほどの情報戦略が必要ではないか。
アメリカ様が「失望した」と言っただけで
これだけ大騒ぎする日本のメディアも腹立たしい。
けれども、これを撥ねつけようにも、
アメリカ様に守ってもらっている
今のような状態では無理である。
もし自国の主張をとことんまで通すなら、
まず真の独立を目指すことである。
それはすなわち、自力で国を守れるように
するということだ。
日本に、私たちに、それだけの覚悟があるか。
行きつくところは、結局はそこになる。
もっとも、もしそれが可能になったからとて、
ただ声高に自らの主張を叫ぶだけなら、
国際社会からそっぽを向かれるだけだ。
国際連盟を脱退したときの松岡洋右外相のように、
日本国内では称賛を浴びても、
世界で孤立することになりかねない。
ぐるぐる、ぐるぐる。
考えがめぐる。
このこと、道場で議論できたら良いのになーと
思っていたところです。
黒豆が煮えました。
しかし豆にシワが寄る。
どなたか、シワのできない煮方を
御存じでしたら教えてくださいーー。
来年に活かします。