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高森明勅
2013.12.25 14:31

「上御一人」の孤独

天皇陛下は、ご即位10年の節目にあたる
平成10年のお誕生日に際し、
次のように述べられた。

「天皇になってから、昭和天皇のお気持ちが分かったというような
こともあります」と。

即ち、親子であり、かつ次代の天皇たる皇太子の地位にあっても、
実際にご自身が天皇になられるまで分からなかった
「お気持ち」
があるというのだ。

恐らく、その最たるものの1つは「孤独」であらうと拝察する。

何しろ天皇とは、国家秩序の頂点であり、国民統合の中心だ。

「頂点」も「中心」も、改めて言うまでもなく唯一無二の存在。

あるいは、日本における究極の「公」の体現者というのも、
究極である限り、
唯一である。

だからこそ「上御一人(かみごいちにん)」と称する。

などと、外からは様々に論じ得るだろう。

だが、当事者たる天皇陛下ご本人のお立場としては、
これほど「孤独」
なご境遇はないだろう。

想像してみるがよい。

皇后陛下は勿論、天皇陛下の「妻」たるお立場である。
しかし妻でありつつ、
臣下であり、いかなる場合にも、
後者が優先する
だからこそ御陵の造営にあたっても、合葬は認められないのだ)。

これは、皇太子殿下をはじめ他のご近親者についても、
様だ。

まして、それ以外の人々については、改めて言うまでもあるまい。

まさに「一人」だけのご存在。

およそ、我々が想像できる孤独の範疇を超えた、
「孤独」
そのもののお立場であろう。

何故このような苛酷この上ないお立場に立たれるのか。

それなくして、国家の秩序も社会の統合も、
日本において安定的には保ち得ないからであり、
国民の無意識がそのような立場を強く求めているからだ。

国民に与えられているあらゆる自由と権利は、
憲法を実際に機能せしめ得る国家と社会の安定があってこそ、
可能になる。

しかし我が国において、その条件を整えるためには、
国民に与えられているあらゆる自由と権利を否認されている
天皇と
いう地位が、不可欠の前提となる。

そのお立場は、この上ない孤独をも強いられる。

それでも天皇陛下は、国民のために、
その「運命を受け入れ」て下さっているのだ。

この度、80歳のお誕生日にあたり、
天皇陛下はこのように仰有った。

「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、
私は結婚により、
私が大切にしたいと思うものを共に
大切に思ってくれる伴侶を得ま
した。

皇后が常にわたしの立場を尊重しつつ寄り添ってくれた
とに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを
幸せだったと思
っています」と。

皇后陛下が「上御一人」たる天皇陛下のお立場を尊重し、
懸命に支えて来られたので「
天皇の役割を果たそうと努力できた」、
そのことがご自身にとって「幸せだった」と仰有っているのだ。

皇后が…寄り添ってくれたこと」自体が「幸せだった」のではない。

そのことにより、“天皇の役割を果たそうと努力できた"

ーーそれが「幸せ」。

天皇陛下はどこまで「無私」なお方なのか。

ご不自由にして孤独この上ないご境遇にお身を持されながら、
国民のために、懸命に「天皇の役割を果たそうと努力」
続けておられる陛下。

国民は、その無私なる陛下の真摯なご努力に、どうお応えすべきか。

常にそのことを、自らに問いかけるべきだろう。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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