引き続き、昭和16年12月8日を迎えた当時の日本人の声を。
室生犀星
「何かをつくり
何かをゑがき
自分のよろこびを人に示したい
自分も臣の1人であり
臣のいのちをまもり
それゆゑに寿をつくり上げたい」
(「12月8日」より)
伊藤静雄
「昭和16年12月8日
何といふ日であつたらう
清しさのおもひ極まり
宮城(きゅうじょう)を遥拝すれば
われら尽(ことごと)く
ーー誰か涙をとどめ得たらう」
(「大詔」)
三島由紀夫
「やすみししわが大皇(おほぎみ)
おほみことのり宣(のたま)へりし日
もろ鳥は啼きの音(ね)をやめ
もろ草はそよぐすべなみ
あめつちは涙せきあへず
寂としてこゑだにもなし
朗々とみことのりはも
葦原のみづほの国原
みなぎれり、げにみちみてり」
(「大詔」)
ちなみに三島由紀夫は当時、16歳。
BLOGブログ
前の記事へ「12月8日」とは何か(2)
皇太子妃殿下のお誕生日に寄せて次の記事へ