昭和16年12月8日、我が国はアメリカ・イギリス両国に対し、
宣戦を布告した。
開戦2日後の10日、大本営政府連絡会議は戦争の呼称について、
「今次の対英米戦争及今後情勢の推移に伴ひ
生起することあるべき戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」
とした(12日に閣議決定)。
大東亜戦争開戦の直接の理由については、次のような発言がある。
(1)東條英機内閣総理大臣
「此際戦争に突入しなければならぬとの結論に達し、
お上(昭和天皇)に御許しを願つたが仲々お許しがなく、
漸く已むを得ないと仰せられた時、
ほんとにお上は真から平和を愛し大事にしてをられることを知つた。
…戦争をしなければならぬ様にしむけた米国がにくらしくなつた」
(昭和16年12月1日、『東條内閣総理大臣機密記録』)
(2)昭和天皇「総理になつた東條は、(昭和16年)
9月6日の御前会議の決定
(10月上旬頃迄に外交交渉が妥結しなければ開戦を「決意」など)
を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて1週間、
寝ずに研究したが、問題の重点は油であつた。
…実に(アメリカによる)石油の輸入禁止は
日本を窮地に追込んだものである。
かくなつた以上は、万一の僥幸を期しても、
戦つた方が良いといふ考が決定的になつたのは
自然の勢と云はねばならぬ」
(昭和21年3月18日〜4月8日、『昭和天皇独白録』)
(3)ダグラス・マッカー元連合国軍最高司令官
「太平洋において我々は彼ら(日本人)を…包囲したのです。
…日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、
ゴムが無い。
その他実に多くの原料が欠如してゐる。
…もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、
一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを
彼らは恐れてゐました。
したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです」
(昭和26年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会、
『東京裁判 日本の弁明』)
なお、アメリカ映画
「ゴッド・ファーザーPart2」(フランシス・コッポラ監督)に、
日本軍の真珠湾攻撃を非難した人物
(サンティノ・コルレオーネ)に対し、
別の人物(トム・ヘイゲン)が
「(アメリカが)石油を止めたせいだ」と発言する場面がある。
アメリカの知識層の一般的な見解を表明したものだろう。