「小林よしのりライジング」Vol.47
衝撃の問題作、ゴーマニズム宣言
『母の死期が迫った今こそ、
会いたくない!」
すごくいい感想が
たくさん来ていますので、
引き続きご紹介します!
さすがに身内でもここまでされると
たまったモンじゃないなと正直思いました。
老人介護の話で、子供に老後の面倒を見てもらう事に
期待する親が増えていると書かれていた場面があったと思います。
失礼ながら、親が子供にするものではないと感じてしまいました。
多額のお小遣いをあげるなんて、富裕層でなければ考えられません。
子孫に迷惑をかけない様にする為、訓練しようと思いました。
トッキーさんがブログで「衝撃、小林家の真実!」と
書かれていましたが、まさに衝撃でしたね。
ここまで克明に知ることってほぼないと思います。
最後のよしりん先生の
「親子・家族の真実は人生を全うするまでわからない」
という言葉が重かったです。本当にその通りですね。
大変失礼ですが、私から見るとかなりアブノーマルな
状況のように映り、まさに衝撃でした…。
それぞれ違う場所に暮らしています。母は用意周到な性格で、
子供に迷惑をかけたくないという人です。
覚えますが、でも実際に病気になって深刻な状態になったら、
どうなるかわかりませんよね。
私は、母を亡くすことの喪失感が非常に大きいだろうなぁと思い、
そのことを想像すると非常に不安になります。
すごく違っていますが、息子としてのよしりん先生の
いろいろな感情に共感し、深く考えさせられました。
子供にとって一つの大きな人生経験なのだと思います。
自分にはそれがうまくできるかどうかわかりませんが、
よしりん先生の経験が参考になったり、励みになったり、
道しるべになったりするのかなぁと思います。
という気持ちもあります。
ゴー宣って、どんなテーマを扱っても読者にとって刺激的です…。
AKBのヲタをやってる先生が未熟者に見えてしまいます。
身内の、それもあんまりカッコよくない話を、
よくぞ書いて下さいました。先生のプロ根性を感じます。
という話を思い出しました。あ、失礼ですね。でも思っちゃいました。
もう死ぬだけだという極限状態。
そこで自分の本性がむき出しになるんですね。
「卑怯者の島」でももう死ぬだけからと食糧の取り合いをする
場面がありましたね。でも多くの人は、普通の人であれば
終わりが近づけば我欲に走ると思います。
如何にそうならない、則天去私に近づくかが修行で、
それを極めた者、たとえば抗議の焼身自殺をするチベット僧が
その究極ではないでしょうか。
もちろん日本であれば無私の存在である天皇にもつながる話です。
我ら凡人には難しいテーマです。
あ、勝手に我「ら」って言ったらダメですね。私は、です。
ありがとうございました。よしりん師範、時浦師範代、
みなぼん編集長、スタッフの皆様、お疲れ様でした。
「父からは弱者への眼差しと公共心を学び、
母からは個人主義と快楽主義を学んだ」
「あんたには生命保険をいっぱい掛けてるから、いつ死んでもよかとよ」
と先生の母が少年よしりんに宣言するシーンは何度も描かれ、
また休みの日に家族全員が遅くまで寝ている絵を描いたり
赤旗新聞から切り抜いた記事で自由研究を書いたりした
少年よしりんに世間体を気にして怒ってもいました。
逆に先生の父は寒い日に少年よしりんを抱いて火鉢の熱で
温めてくれたりする優しい父のイメージが印象的です。
そして理想主義の父と現実主義の母が何かにつけて
喧々諤々の論争をし、それを喧嘩かと思って心配そうに
見ているシーンもありました。
しかしまた最近の道場やブログでは先生の父がしょっちゅう麻雀で
ジャラジャラと大きな音を立て「うるさくて勉強ができない」
と訴えると窓から放り捨てられたというエピソードも明かされ、
当然ですがきっちり二分できるわけでもなく、
ただよしりん師範の打たれ強さの秘密が判りました。
つまり、理想主義と現実主義、公共心と快楽主義、
優しさと厳しさをそれぞれ体現する両親が
二人とも自分を貫く強さを持っていたから、
そのハイブリッドとしての強く優しくすぐれた
バランス感覚を持つよしりん師範が出来上がったのだと思います。
そして「わしが自ら学んだものは、仕事に対する情熱と執念である。
これだけは両親にはないものだった」にもつながって
いくのだと思います。だからよしりん師範はきっと両親への感謝は
十分されていると推察します。
旅行には何度も連れていき、服や品物も買い与えと、
現代の生きることさえ厳しくなってきた世の中においては
すでに十分尽くされています。それに死期が近づくまで
好きなことをして過ごせるのは大変幸せなことだと認識した方が
良いと思われます。
また好きなことをしていればナチュラルキラー細胞が強化され、
癌細胞を破壊しつくして寿命が延びるかもしれません。
この上母を最期まで面倒見るなんて言ったら、
逆に、徹底して偽善を排してきたゴーマニストのイメージが崩れます。
接することができないのかもしれません。
それは親の死に際しても言えると思います。
”私”を貫いた人の最期を優しさに溢れた介護で接して
”公共心”を示せと言われても納得がいかない気がします。
よしりん師範の場合は優しい父君の方が長生きされたのなら
また対応が変わったかもしれません。
そういう意味で仕事にかまけて(言い訳にして?)
子供を放置してきた父親は覚悟した方がいいわけです。
世の中がもっと生き辛くなれば、一部の富裕層を除いて
現在の偽善にまみれた看取り観も木端微塵に
砕かれていくでしょう。すでに現代日本の高齢者の最期は、
病院でチューブだらけになって無理やり生かされて死を迎えるか、
アパートの一室で孤独死かのどちらかになってきています。
ゴー宣には何度も「人間死ぬときは一人だ」という台詞とコマが
出ており印象に残っています。
秩序と品性を保っていた最低ラインをTPPが突破するか na85
今回の『ゴー宣』は
特別な1本になった感があります。
まだまだご紹介したい
感想があります。
皆さんも読んでお感じになったこと、
ご自身の体験などからお話しいただける
ことなどありましたら、ぜひコメント
お寄せ下さい!