長谷川三千子先生から
新著『神やぶれたまはず―昭和二十年八月十五日正午』(中央公論新社)をご恵送頂いた。
一気に読了。
このような書物が書かれたという事実を、
日本の神々に感謝したい気持ちになった。
昭和20年8月15日正午という、
我が国史上の一瞬が持った最も深い意味を、見事に解き明かしている。
日本人が長く見失い、忘れ去った、
あの奇蹟のような一瞬の深層の意味を、
精緻に誠実に追究し、遂に恐ろしい、驚くべき光景を甦らせた。
折口信夫、橋川文三、桶谷秀昭、太宰治、伊東静男、磯田光一、
吉本隆明、三島由紀夫らの言説を丹念に検証した上で、
旧約聖書に出てくる「イサク奉献」の物語を巡る
デリダやキルケゴールの解読の“盲点”を抉り出し、こう結論される。
「歴史上の事実として、本土決戦は行はれず、
天皇は処刑されなかつた。
しかし、
昭和二十年八月のあの一瞬ーほんの一瞬ー
日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、
あひ並んでホロコーストのたきぎの上に横たはつていたのである」と。
これは、実は最も月並みな、当たり前の結論とも言える。
しかしそれは、長谷川氏以外の誰も見出だすことが出来なかったし、
長谷川氏だからこそ、ここまでたどり着くことが出来たのだ。
勿論、この引用だけでは、
多くの人にとっては、何のことやら見当もつかないだろう。
だがこの本は、静かな気持ちで丁寧に読めば、
誰もが読み通すことが出来るはずだ。
ほんの僅かでも歴史の真実に関心を持つ、
全ての国民が終戦記念日より前に、ぜひ読んで欲しい近来の名著だ。
ほとんど「奇蹟」のような書物、と評すべきかも知れない。
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