ゴー宣DOJO

BLOGブログ
笹幸恵
2013.1.30 06:53

女であること・その1

ゴー宣道場がスタートして

まだ間もない頃、

小林先生からこんなことを

言われました。

 

「笹さんにもうちょっと

色気があればなあ・・・」

 

なななななんですと?

私に色気?

 

かわいげがねーとか

色気がねーとか

これまでも周囲から散々言われて

きましたが、これほどまでに

しみじみと言われたのは

初めてでした。

 

ふんッ。色気を求めるなら

違う女を師範にすればいいぢゃないの!

でも一方で、なんだか切実さを

感じたのも事実。

 

よくよく動画などを見てみると、

なるほど確かに「壇上に華(色気)」は必要です。

なくてもいいかもしれないけど、

あったほうがいい。

それでなくても怖いと言われている道場に、

あの師範方のお顔立ち。

そりゃ恐れおののくのが普通でしょう(失礼!)

ならば、それを和らげる存在が

あったほうがいいに決まっています。

 

そっかー。

私は女というだけで、

そういう役割があったのか。

このとき初めてそう気づいたのでした。

以降は、それなりに、

ない色気を絞りだそうと努力、努力。。。

 

女性が華だということは、

私はこの道場を通して気づきました。

けれどこれが10年前なら、

きっと私は反発しか覚えなかったでしょう。

私は女として仕事をしているんじゃない。

人として仕事をしているんであって、

そこに男も女も関係ない。

生意気にも、そう信じていましたから。

自分が女であるということを

思い知らされるのは、自分にとって

屈辱以外の何物でもありませんでした。

 

結婚や出産は仕事の妨げとしか思えませんでした。

そもそも結婚は墓場だと思っていました。

20代で友人が次々と結婚していくのが

心底不思議でたまりませんでした。

 

それがいつ頃から変わったのだろう?

いつから自分が女であることを

受け入れられたのだろう?

35歳を過ぎて、出産も「マルコー」に

なってようやく焦ったのかな?

後悔はしていないけど、

もうちょっと早く

女であることを受け入れていても

良かっただろうになあと思います。

(なんでこんなふうに育ったんだ、自分・・・)

 

ただ、いつもどこかで思っていました。

「いま出産や育児でこのポジションを離れたら、

もう戻る場所はないのだ」と。

それはまるで強迫観念のように。

ライターなんて、世の中に代わりは

いくらでもいるのですから。

 

女であることの自由さ、不自由さ。

振り返ってみれば、

社会に出てからというもの、

いつもそれが自分につきまとって

いたように思います。

働く以上、好むと好まざるとにかかわらず

女であることと向き合わざるを得ない。

 

働く女性は皆、こうした感覚を

少なからず持っているのではないでしょうか。

 

仕事か家庭か。

男性が二者択一を迫られることはまずないのに、

女性はまだそれがあります。

しかも悪いことに、自分の意思で

二者択一できるのはまだマシというのが現状。

生活するためには仕事も家庭も

両立させなければならない。

けれど両立させるのは難しい(だから結果的に

二者択一にならざるを得ない)。

 

私の友人は第二子を出産するため

産休を取っていましたが、その間に会社が倒産。

夫の給料だけでは食べていけないので

急ぎ就職活動をしなければと言っていましたが、

幼子二人を抱えて、果たして働き口が見つかるかどうか。

・・・シビアな現実です。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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