グローバル化が進めば進むほど、
「国家」はより重大になる。
この点、誤解している向きが多いのではないか。
グローバル化が進めば、国家の存在感はどんどん小さくなる、と。
ところが、じつはそうではない。
むしろ逆だ。何故か。
「経済」は、ひたすら利益と効率を追求する。
そうすると、グローバル化はとめどなく進行する。
グローバル化の進展は、弱肉強食の世界をもたらす。
そこでのルールは、いたってシンプル。
「狼は生きろ。羊は死ね」それだけだ。
だが、誰もが「狼」になれる訳ではない。
多くは「羊」にしかなれない。
グローバル化の嵐の中、羊たちは皆、
社会の底辺に転落させられる。
しかも、羊が本当に追い詰められると、
その中から狼をも襲う怪物が現れる。
経済のみの自己運動、制約なきグローバル化の果てには、
狼にも羊にも最悪の、「勝者なき世界」が待っている。
こうした事態を回避するには、
「政治」が介入するしかない。
狼と羊たちが共存できる最適な状態を探る。
その際、政治の基盤になるのが国家だ。
この場合の国家とは、
統治機構(ステート)であると同時に、
国民共同体(ネーション)でもある。
かかる国家というリソースがあってはじめて、
政治は弱肉強食の世界で調停的機能を果たすことができる。
あるいは、弱肉強食と対立する相互扶助の原理を、
社会にカウンターバランスとして持ち込むことができる。
国家こそ、グローバル化が必然的に要請する、
最後のセーフティネットだ。
重要なのは、国政にあたる者がそのことを十分、
自覚しているか、どうかだろう。
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