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切通理作
2012.11.2 01:29

ヒロイズムによい、悪いはあるか

 

   

 「ヒーロー」という言葉を使うと、スパイダーマンやバットマンといった個々のキャラクターが頭に浮かんでしまいますが、「ヒロイズム」という言葉だと、誰の中にでもあるものとして認識しやすいと思います。

 

 小林よしのりさんとも対談本を出したことのある文芸批評家の竹田青嗣さんは、よく「いいロマンティシズム」「わるいロマンティシズム」という言葉を使っていました。「いいロマンティシズム」とは、現実の中でちゃんと試練を受けて、それでも「よりよきこと」への希求を失わない心のことで、「わるいロマンティシズム」というのは、弱者の恨みつらみが根拠のない万能感を生み、それがナルシシズムと一体となったものだと。

 

 そのひそみにならって、「いいヒロイズム」と、「悪いヒロイズム」という言い方が出来るかどうか、考えてみたいと思います。

 

 アメリカには数々の正統派ヒーローものがある一方、さえない男がヒーローになろうとする「ダメ人間もの」の映画もあります。

 

 昨年公開されたアメリカ映画の中で、僕が面白いと思ったものの一つに「SUPER!」があります。

 この映画は、美人の女性と結婚出来たことと、悪党を追いかける警官に「あっちに逃げましたよ」とその方向を指さして、警官から「サンキュー」と言われたこと、その二つしか「人生の中で『やった!』と思った瞬間」がなく、それだけを心の支えにして生きているさえない男が主人公です。

 

  彼の妻は元々薬物依存症でしたが、おそらく不良ばかりと付き合ってきたので、いままでの半生で出会ったことのない彼のようなトッポイ男と一緒になって人生をやり直そうと気まぐれを起こします。しかしふたたび薬物漬けの日々に戻り、ジャンキーであり薬物の売人である男の情婦になって家を出て行ってしまいます。

 

 それしかなかった希望を奪われた主人公は、テレビで見たスーパーヒーローの真似をしてコスチュームをつけ、麻薬の売人たちから妻を取り戻す予行演習として、繁華街の片隅に座り込み、誰かが悪事を働くのを待って、いきなり制裁するのを繰り返します。

 

 行列に並んでいる人々に「横入り」して、注意されても意に介さない男に、コスチューム姿の彼がいきなりレンチで殴りかかって重傷を負わせます。その男の連れの女も同罪とばかり殴りつけます。

 

 この映画は、コスチュームをつけて「正義」を標榜する者の「暴力」を生々しく描き、観客を我に返らせます。

 

 実際、こんな人物が現実にいたら通り魔以外の何物でもないでしょう。

 

 しかし、この映画の日本人観客の感想がネットにUPされてるのを見ると、この「列に横入りした奴らをメッタ打ちにする」描写に爽快感を覚えた、という人が意外に多いのです。

 

 この映画のラストで主人公と銃撃戦になるような、容赦なく殺人を犯す麻薬の売人たちではなく、ただ「列に横入りした奴」をメッタメタにしてやりたいという願望。

 

 大きな悪より「横入り」が許せない。

 僕はこれは「ネトウヨのヒロイズム」にも似ているなと思いました。

 まさに在日特権を許すなとか、生活保護を許すなとか言っている人たちと似ています。

 

 これは「悪いヒロイズム」なのでしょうか。

 

 しかしこれもまた人間の持つ、隠しようのない姿なのかもしれません。
 

 

 ヒロイズムというものが暴走してしまうとしたら、その分水嶺はなんなのか。

 海を泳いで尖閣諸島に上陸した行動は「ヒーロー」のものなのか。

 

 次回、11月11日の道場では、そんなことも考えてみたいと思います。

 「サブカル・ヒーローの本質に迫る」13時よりニコニコ生中継もされます! 

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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