この度、首相官邸前での鳩山由紀夫元首相の醜いパフォーマンスを見せられて、
かつて三島由紀夫が石原慎太郎氏を批判した時のことを
思い出した人も、いるのではないか(勿論、由紀夫つながりなどではなく)。
昭和45年6月11日付『毎日新聞』に、三島は
「石原慎太郎氏への公開状ー士道についてー」と題した
一文を発表した。
もう随分、昔のことになる。
しかし、その内容は印象的で、なかなか古びない。
当時、自民党の参議院議員だった石原氏が、オピニオン誌『諸君!』で自民党をボロクソに批判したことを、
真正面から叱責した文章だ。
石原氏の自民党批判には「ほとんど同感」としながら、
こう言い切っている。
「昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙って耐えました。
何ものかに属する、とはそういうことです。
もともと自由な人間が、何ものかに属して、
美しくなるか醜くなるかの境目は、この危うい一点にしかありません」と。
鳩山氏は、政権与党たる民主党の元代表であり、
痩せても枯れても党内のリーダーの1人ではないか。
鳩山氏が、もし本気で脱原発を願っているのなら、
党内にあって原発再稼働を阻止すべく、
最大限の努力をする 責務があったはずだ。
彼は一体、どれだけのことをしたのか。
その上で、党内でぎりぎりまで努力しても、
力及ばず再稼働を許してしまったら、
リスクを背負って潔く党を離れ、
脱原発に向けた政治勢力の結集を呼び掛けるか、それが出来ずに党内に留まるなら、
ひたすら自らの非力を国民に謝罪する以外ない。
それが、原発再稼働に踏み切った与党に「属する」者の、
当然とるべき態度だろう。
ところが鳩山氏は、そうした筋目など、まるで眼中にない。
ばかりか、真剣な国民の抗議活動を、
落選が囁かれる己れの選挙宣伝と、
反執行部の党内権力闘争に利用して、何ら恥じるところがない。
彼は、自分が「糾弾される」側の人間であることを、
爪の先ほどでも、自覚しているのか。
かつて三島が批判した石原氏の振る舞いより、更に数段、悪質だ。
三島は先の文章の終わり近くで、次のように述べていた。
「W・H・オーデンは、『第二の世界』の中で
『文学者が真実を言うために一身を危険にさらしているという事実が、彼に道徳的権威を与える』
と言っていますが、これは政治家も同じことです」と。
鳩山氏は、「一身を危険にさら」すどころか、
上っ面だけ見栄えのいいことをすれば、国民の歓心を買えると考えているらしい。
どこまで世間の舐めているのか。
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