子供のイジメを甘く見てはいけない。
様々な厄介さを抱えている。
思いつくままに、イジメの厄介な点をいくつか挙げてみよう。
まず、イジメはほんの些細なことから始まることが多い。
だから、いつ始まったのか、なぜ始まったのか、大人からは簡単に見定めにくいケースが、結構ある。
次に、イジメられている子供が、イジメられている事実を、自分から進んで親に話すことは、まずない、
と思っておいた方がいい。
親が好きな子供は、親に自分が「弱い」とか「劣っている」などと思われたくない。
自分がイジメられていることを親に知らせるのは、子供にとっては「弱い」「劣っている」自分を晒すようで、
なかなか出来ない。
子供のプライドの問題だ。
これは大人は見落としがちだが、子供にとって、最も重要な問題とも言える。
何しろ、このプライドを守る為に、親には一言も相談しないまま、
むしろ自殺を選ぶ場合があるくらいだから。
従って、大人がイジメ解決に介入する場合、イジメられている子供のプライドには最大限、配慮しなければならない。
一方、イジメている子供は、自分がイジメているという自覚を、はっきり持っていないケースがある。
また、イジメている子供自身、色々と「辛さ」を抱えていて、
それから逃れる為に、イジメに走っていたりする。
イジメっ子が以前、激しいイジメに遭っていたという場合も、決して珍しくない。
更に、その子の親になると、「うちの子がイジメなんかするはずない」と思い込んでいるのが、普通だ。
だから、イジメがある、という事実を確定すること自体、
一筋縄ではいかない。
しかし逆に、イジメの事実さえ確定出来れば、実はもう殆ど解決法は見えていると言っていい。
但し、教師でも親でも、一旦、大人が介入したら、完全解決まで、徹底的にやり遂げなければならない。
そうしないと、大人の目の届かない所で、イジメはより陰湿かつ悪質な形でエスカレートしてしまう。
これも厄介な点だ。
だが、いささか逆説めくが、そうしたイジメの厄介さを十分、
見極めた上で、親が最後までやり抜く決意を固め、
教師と手を携えて、慎重かつ果断に取り組めば、
多くの場合、解決の糸口は意外とスムーズに見つかるはずだ。
イジメは本来、子供本人が解決するのが、一番望ましい。
それが無理でも、担任の教師とか、学校の取り組みによって解決出来れば、それに越したことはない。
実際に、そのようにして解決しているイジメが、一杯あるだろう。
だが残念ながら、親が介入しなければならない場合も、絶無ではない。
自ら好んででしゃばるのではないが、我が子を守る為に、
どうしても親が立ち上がるしかない時だってある。
子を持つ親は、常にその覚悟を秘めているべきだろう。
第一、我が子がイジメを受けていることを、
子供がどれだけ隠していても、いち早く気付けるのは、
毎日寝食を共にしている親のはずだ。
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