今日もよしりん先生
登場です!
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発達障害の子供を
「伝統的子育て」で予防・防止できる
(発達障害は親のせい)という
維新の会の市議団の条例案に
対してネットでの反乱が起こり、
橋下徹が追い込まれて
ツイッターで火消しに
躍起になったという。
発達障害を治す
「伝統的子育て」
って何なのだ?
新自由主義と競争原理、
そこに伝統を
原理主義的に持ち込むと、
ナチズムに近似したものになる。
ましてや橋下という
ヒステリックな煽動者が
それを推進すると、
まさにヒトラーのエピゴーネンが
出現してしまう。
本人が独裁者に
なりたがっていたのだから
パロディにしか見えないのだが、
それでも熱狂する大衆が
出てくるのだから笑えない。
政治は面白くあるべきだとする
風潮がここまでに至らせたのだろうが、
メディアや知識人の責任は重い。
わしは、ナショナリズムが
もはやポピュリズムに
成り下がったと見ている。
『戦争論』や
「新しい歴史教科書の会」
などの活動を通して、
自虐史観の相対化を進めた結果、
あれから十数年経つと、
ナショナリズムは
大衆受けするものになってきた。
かつてナショナリズムは
痛みを伴うものであったが、
最近は痛みを伴わない
ナショナリズムが暴走している。
左に重心を置けば
どんどん左に傾いて歯止めがきかず、
右に重心を移せば
どんどん右に傾いてバランスを崩す。
これは日本人の習性なのだろうか?
ついに最近では、
「伝統」という言葉までが
まったく無意味に
使い回されるようになってきた。
ヒステリック・橋下のブレーンには、
新自由主義の経済学者と、
伝統原理主義の学者が混在しているらしい。
これって産経新聞の論調によく似ている。
グローバリズムに身投げする
新自由主義で、
経団連・多国籍企業を
全面支援し、
それによって溶解する
地方・国家・国民を
ナショナリズムで
偽装補強する
という戦略の構図だ。
どうせ格差は拡大するのだから、
下層に落ちた連中の
排外主義的なナショナリズムが
勢いを増すことになる。
コンプレックスとルサンチマンを
溜めこんだ下層民たちの
反権力志向を逸らすために、
「君が代」や「靖国神社」や
「反韓・反中感情」や「在日差別」や
「伝統」が利用される時代がやってきた。
中国の手法に似ている。
小泉元首相がやったのと同じ手法が、
エキセントリック橋下においても
使われている。
新自由主義、グローバリズムは
必ず排外主義とセットになる。
ヨーロッパのどの国を見てもそうなっている。
かつてわしが共に戦った
保守系知識人たちも、
その「パトリなきナショナリズム」に
動員されていくに違いない。
「伝統」という言葉には
今後特に警戒しなければならない。
憲法24条第1項の
「婚姻は両性の合意のみに
基づいて成立し」を改正すれば、
祖先を敬う家族共同体が
再生されるというような
アナクロニズムの極致としか
言いようのない主張をする者がいるが、
皇統の男系絶対主義と同様の
カルト化した
「伝統原理主義者」である。
わしを始め、
いまやほとんどの国民が
核家族で育っているのだし、
今さら大家族に戻れるわけが
ないことくらいわかりそうなものだが。
同棲、事実婚が増えるだけだ
ということは馬鹿でもわかる。
伝統を唱えながら、
少子化を加速させて
国民を滅ぼそうというのが、
「伝統原理主義」の
倒錯した愛国心だ。
新自由主義と伝統原理主義の結合、
エキセントリック橋下に見られる
危険なイデオロギーを見ぬけず、
政治の閉塞状況を破壊する
「突破力」とか「狂気」などと言って
持ち上げるメディアや知識人たちは、
どうせ責任をとりはしない。
小泉構造改革の火種は、
ヒステリック橋下に受け継がれている。
そして国民は、またもや小泉時代の、
抵抗勢力を排除する快感に酔いしれて、
改革祭りを始めるのだろうか?